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武士道のゆくえと、トマトジュースの缶

日曜の晩に、同期のK氏とバーミヤンで中華くいながら、なぜか武士道について話してました。
その要約メモと、補足意見。

武士道と、グローバリゼーションと、オタクの関係についての、私的考察。



侍ってのは、「さぶらう=仕える」 が語源だ。
貴族に仕えていたから、さぶらい。
だけど平安時代で、貴族は歴史の表舞台から消えてしまう。

そして「仕える相手を必要としない、さぶらい」という時代が生まれる。
征夷大将軍が日本のトップ。仕えるはずの天皇は飾り。
もはや武士道には主君の意思は要らない。象徴があればいい。
この辺が、武士道の独特な、あるいは変といえば変な点になる。



主君が、名君であるか、暗君であるか。武士はそういうのを気にしてはいけない。
ぶっちゃけ、バカであっても主君は主君。それが武士道スタイル。
山本周五郎とか、そんなんいっぱい描いてた。

問題は、自分が「仕える」ことであって、その目的とか結果とかを考えるのは下賎。

意地悪く言えば、そんな「一心に仕える自分」が好き(はあと)という自己愛でもある。



私は見ていないのだが、K氏の話によると、「ラスト・サムライ」では、武士を以下のように定義しているらしい。

・単調な農作業と生活作業が繰り返される、「領地」において
・自らの行動を日々琢磨しながら、反復を維持して生きていく

ようするに「吾唯足知(われ、ただ、たることを、しる)」の禅的な世界。

実は私、不勉強なことに、新渡戸稲造さんの「武士道」いまだに読んだこと無いのだけど、多分、そんなに間違ってないんだろうなーとは思う。



自分の周りに、檻をつくって
「ここからここまでが世界」
と悟って、そこで淡々と充実した生を送る。
そんな武士道。

ある意味うらやましい生き方で無くも無い。



日本のサラリーマンの一つの理想形が、武士道であるのも理解できる。

朝、会社に行くと、机の右側に今日の仕事が積んである。
その書類を丁寧に忠実にこなして、机の左側に積む。
夜の間に、誰かが回収していく。
次の朝には次の仕事が積まれている。

問題は、目の前の書類を丁寧に片付けること。
インプットは決まっている。アウトプットも決まっている。
それを「型」どおりにこなし、型を磨き続ける。

それはそれで、かっこいい生き方だし、それはそれで、楽な生き方だ。



ただし、当然、檻の外側を見ようとしてはいけない、という制約がつく。
「俺は、世の中の役に立っているのか?」
などという疑問を持ってはいけない。

檻の外を見ようとすると、武士道は破綻する。

主君が、暗君か?名君か?
自分の行っている型が、誰かの幸福に結びついているか?
そういうことを考えるのは、ホントの所、武士らしくない。



そんで、

「職人は武士道に適応するが、商人は武士道に適応しない」

という命題が生まれる。つうか僕が生んだ。



職人ってのは、まさに檻の中で自分の幸福を作れる人種だろう。
ただ、自分の手を動かした成果が、良いか、悪いか、それだけ。
「型」と自分の内側と基準を置いて、そこで世界を閉じてしまうことが出来る。

K氏も、私も、ソフトウェア技術者の端くれであるから、そういう生き方の魅力ってのも良くわかる。
実際、そこにはまっている間は、脳内麻薬でまくり状態で、えらく楽しい。



でも、商人ってのは、そういうもんじゃない
(・・・というのが私の商人感だってことですが)

商人は、あの世界とこの世界、二つの世界をつないでコラボレーションを起こす役割を持つ。二つの世界がかけ離れているほど、商人の腕の見せ所&旨み所になる。

たとえていうと、二つの湖の間に水路を引くようなもので、湖の高さが違うほどに勢いよく水車を回すことが出来る。

(ただし、ここでいう商人は、「グローバリゼーション」をもたらす者=行商人・豪商としての商人であって、村に一軒の八百屋ってのは、もっと職人的な人生かもしれないが)



商人は、職人に、「意義・目的意識」を与えるけれども、一方で「職人の武士道」を破壊する面も持っている。



武士道が「足ることを知る」とすましているためには、檻の外を見てはいけない、という制約が必要になる。

つまり、日々研鑽を積んでいる横に、いい女抱いて酒飲みながら葉巻吸っている奴が居ると、結構あっさりとピンチになる。そんな檻の外の快楽に脇目を振ってはいけないのだ。

なのに商人は、「あいつの武士道」と「こいつの武士道」を、冷酷にくらべっこしてしまう。評価してしまう。で、それに基づいて報酬を与える。

外からの評価を気にしたら武士道は終わりだ。カメラ目線を飛ばす武士は、もはや武士ではない。日光江戸村の役者だ。

商人のささやき声によって、檻の外を見るようになると、檻にはヒビが入っていく。



だが、世界の進歩(正しくは「変化」)が加速するのは、明らかに、商人のおかげだ。コラボレーションは競争を生み、競争は加速して、商人の定義する「勝ち組、負け組」の差を作っていく。

江戸時代ってのも、そうやって崩壊して行った。



「士農工商」というが、武士は武士道の破綻を意味する「商人」の存在を無視することによって、秩序を維持しようとした。バカだよねえ。無視したって消えないのに。

「武士道」を維持するためには、世界は本質的に変わってはいけない。
農は農。工は工。そして、士は士。
昨日と明日は同じ型・同じコトの反復。
その変化は、小さな「カイゼン」の集合体でなければならない。

だが、商人は、ある世界と別の世界を結び続ける。
「改善」の代わりに「本質的な変化」が発生するようになる。

「負け組」を感じた農民は、農地を離れ、都市に出向いて、そして商業をはじめる。




「忠臣蔵」「新撰組」「白虎隊」
みんな日本人の武士道好きにフィットしているお話のようだ。
日本人は「バカ」と「敗北」が結構好きだ。多分、それが武士の本質だから。
(ちなみに、この「バカ」は悪口ではなくて、以前に書いた意味でのバカ)

大きく変革する環境のなかでは、変わる事の出来ない「武士道ルール」を頑迷に維持し続けると、ルールは自己矛盾に陥って猛烈に破綻する。
結局、それでもサムライであろうとすると、仲間の間での殺し合いになってみたり、腹を切ってみたりしてまで、ルールに順ずる必要が生まれる。

客観的に見て、バカなんじゃないの?とも思うが、それはそれで美しい武士道だ。

ただ、まあ、隣にいるとかなり迷惑な人種だろうけど・・・。



一方で商人は、商人なりの弱点を持っている。
別の世界の間を結びつけるのは、多大な労力が必要なのだ。
だから、商人は自ら世界を生み出す能力・技能を持てない。持つ余裕が無い。

それは、弱点であると同時に強みでもある。
自分の檻を持たないならば、その場その場で、一番都合のいい檻を節操無く選ぶことが可能になる。これが商人の変化する速度を保つ秘訣。

ただ、新しい湖を見つけないと水路が引けない。
そのかわりとして、職人に方針を与えて、湖を作るという方法を思いついた。
商人が職人をコントロールして、常に水車を回し続けようとする。
これが、封建主義の崩壊と、近代商業化。



ただ、いずれにせよ、「新しい湖」の候補地を、どこかから定期的に持ってくる必要がある。自分で一から掘っていたのでは、職人と50歩100歩だ。



異世界のコラボレーションをするのが商人の原動力だから、商人には、常に異世界が必要だ。でも商人が活躍し続けると、折角の異世界が、どんどん同化していってしまう。
だから、次々に新世界を見つけたり、生み出したり、再発見する必要がある。

そのたびに、小さな箱庭のような武士道ワールドは壊れていく。

アンチ・グローバリゼーションとしての武士道と、その必然的な崩壊、ってのがラストサムライのテーマなのかなあ。
インディアンが滅んだように、武士が滅んだように、イスラムが滅ぼうとしているように。
(と映画を見てもいないくせに勝手に推測するわけです。)



結局、アラブ世界がアメリカを嫌うのも、無神経な商人であるアメリカが、彼らの武士道ワールドを次々に食いつぶしているからに他ならないんだろう。
結局、人々の檻を壊し続けることによってしか商人の世界は維持できない。・・・悪気は無いんだろうが。

そういえば、井筒さんの著作では、イスラムの成立過程で、武士道(戦士)と商人世界(都市)が複雑に絡み合っていく様が描かれてて面白かった。



いずれにせよ、現代は商人の世界だ。

職人は、結局のところ、褒めてもらうのが好きだ。
一方、商人はとてもわかり易い形で、賞賛を定量化することが出来る。
¥、$、(・・・あ、ユーロがJISに無いや)
この賞賛を獲得しようとすると、商人のルールでゲームをする必要がある。


不幸なことに、商人にコントロールされた職人には、武士道の危機が待っている。
商人はいつも檻の外を指差す。
職人がいい仕事をするのは、檻の中に意識を集中させたときだ。
(そういえば、戯作三昧と好きだったなあ、俺・・・。)

十分に賢い商人が、上手く檻を作ってくれないと (上手く騙してくれないと) 「職人」は心理的な万能感を失って、「労働者」にレベルダウンする。

そうなっちまうと、武士道を旨とする職人には、生き地獄だ。



そんなことをつらつら考えていくと、人生の方針を考えざるを得なくなる。

企業にいる以上は、出世したらマネージメントをする必要があるわけで、それは商人の領域だ。上手い商人は、職人をおだてて、無限の広さのある(ように見える)檻を作ってやらなきゃいけない。

でも、僕もK氏も、おだててもらって、檻に閉じこもるのが好きなのだ!

仙人になるまで職人を続ける生き方ってのも、確かにある。
「熟練工」「この道一筋」と言われたりする人生。
でも、「企業の人間」にはそういう生き方は普通あまり無い。っつうか、そういう生き方が「失敗」とみなされるコトさえある。
「カリスマ」とまで言われるようになれば、大逆転も望めるかも知れないけれど・・・。



「檻を作ってもらう」のではなく「自分で檻を作る」。そういう武士道もある。野武士というか、浪人というか。

つまり、趣味人・オタク人種。

自らの檻の中で、日々切磋琢磨する。
この檻の外には一切の価値は無し。
この檻の中には無限の自由と進歩がある。

まさにオタクだ。
まさに武士だ。



K氏から、久々にホンモノの話を聞いた。

空き缶を集めている、というツワモノの話だ。
最近は、カゴメトマトジュース以外は見向きもしないらしい。
代々の缶から歴史が見えてくるんだそうだ。

ホンモノだ。トムクルーズもびっくりだ。
現代に生きる数少ない武士だ!!!



ただ、今ではオタク業界もすっかり商人にコントロールされてしまった。
東センセによると、商人の制御技術になじむ新世代のオタクが、品種改良によってみるみる増大しているそうな。

もう、トマトジュースの缶に目を輝かせることの出来るホンモノの生きていける世界ではないのかもしれない。
嗚呼、ラスト・サムライよ、永遠なれ。


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上の文章をよむと駄作に見えるラスト・サムライですが、一応フォローしとくと、いい映画です。あと、言い忘れてましたが、ラスト・サムライには典型的な商人像もでてきます。上の論評は強ち間違ってないと思います。
#けっこうねー、檻っていいよね。

補足コメントありがとう。
今度、是非DVDで借りてきます。
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