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カーニバルと生贄

ハーマンさん、「アメリカの恥」として、えらく晒し者にされておりますな。
.
私などは
たまたま問題の写真に出ていたばっかりに、かわいそうなもんだ
と同情してしまったのだが。
彼女は別に「悪魔に取り付かれた極悪人」じゃなくて、
単に「ノリのいい娘さん」だったんだろうなあ、とか思う。
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コンパなんかでも良くあるじゃないですか。
雰囲気盛り上げるために、一気呑みしたり、一気呑みを強制したりする人。(で、時々死人とか出て大騒ぎになったりもしますが)単に、あのタイプの人だったんじゃあないのかな。サービス精神旺盛なあまりに悪ノリする人。
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まあ、クラスでいじめ問題があったりすると、そういう人たちが「別に悪意があったわけじゃない」ということをゴニョゴニョ言ったりするわけですが、きっと今回の「虐待/拷問」騒動も、そういう種類の問題でしょう。
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ある意味、一番タチの悪い問題でもあるわけですが。つーか、最悪に近い。
悪意無しで人とか殺しますからね。ふつーに。
.
その被害にあう人からすると、洒落になる話じゃあない。



つうか、実は、人が人を殺すときに、大げさな悪意がある方がめずらしいのかもしれないなあ・・・。小さな悪意ってのはいつもあるんだろうけどさ。
あとは、正当化された悪意。大義とか、復讐とか呼ばれるもの。
以下は、こっちの「大義としての悪意」じゃなくて、
なんとなくえらいことをしでかしてしまうという、小さな悪意=火種のほうについてのコメント。



「本当に隠さなきゃいけない問題」ってのは、「普通の人が大した悪意も無く他人を虐待したり、殺せる」ってことなんだろう。

このことを認めたくないがために、「一部の悪人による犯行」を大々的にアピールしなきゃいけなくなる。



要するに、テレビの前のボクの心の平安のためには、電気椅子に座っている人と、テレビの前でニュース見ている人の関係が、地続きであっちゃいけない。その間には絶対越えられない谷間があることにしなきゃいけない。

そんなわけなので、そのためには電気椅子に座っている人はものすごく悪人である必要が生まれる。
奴らは俺とは違うんだ、と。
まあ、昔々だったら魔女狩りとかするわけですが。最近では、アカ狩りとか、テロリスト狩りとか、カルト宗教だから、とか、人種が違う、とか、なんとか。
「奴ら」と「俺たち」の間に、一生懸命境界線を引く行動。

前どっかで見た文章では、「切断操作」とか言ってましたが、一般用語なのかな?



魔女狩りってのは、中世キリスト教の最悪の遺産と言われているわけですが、ほんとの所、実際の「大衆心理的な順序」から言うと、

火あぶりにする魔女が必要
 ↓
悪人であることを示す必要
 ↓
キリスト教に照らし合わせる

という教科書に載っているのとは逆の順序で物事が進められてたんじゃないかなー、と思う。
かつてのアカ狩りとか見ても、どうも、そのようだし。
多分テロリスト狩りにも、そういうところがある。



何故、村の生活には火あぶりにする魔女が必要とされるのか。
何故、ナショナリズムは戦争を求めるのか。

人生、刺激がないと、ヒマだからね。燃えないし。



あ、もちろん
刺激が欲しい=戦争
という、頭の回路が直結している人は、世の中殆どいないですよ。

刺激が欲しい 
→ 世の中の悪いこと、ヘンなとこ見つけて義憤
→ ボクは、ボクたちは、義憤をかきたてられる、善意の側の人間
→ じゃあ悪意の側の人間は?
という順序で、悪人が必要になる、ってだけのことで。

ハリウッド映画に悪人が必要である程度に、世の中には悪人が必要。



CASSHARNでは「お前は本当の戦争を知らない」と眉にしわ寄せて叫んでましたが、なんか、あの「裏切られた博愛主義」的なヒロイック戦争感も、エンターテインメントとしてはともかく、現実の分析としては、どうも違うような気がする。

私も戦争行ってきたわけでは無いので、しょせん伝聞からの推測なんですが、
やっている当人達にとってどうも戦争ってのはお祭り騒ぎでしかない、
らしいと私などは思ってます。

ノリが良すぎて死人が出まくるお祭り。

コッポラ映画の見すぎという説もありますが。



基本的には楽しんないとお祭りに乗り遅れるので、適当な口実があれば爆竹を鳴らすように引き金を引く。口実が無くても引く奴も出てくる。
つうか自分が3秒後に死ぬかもしれない状況を、アドレナリンの麻薬効果なしで我慢するなんて不可能ですから。

この前DVDで見た「8mile」でも、ボロ車を箱乗りしながら周囲の店に石投げて笑い転げてましたが、行動の根っこにある情動は、そんなもんでしょう。
自国でやると国内犯罪、他国でやると戦争犯罪。それくらいの違い。
やっぱアドレナリンですよ、アドレナリン最高。

まあ愛国心溢れる人々だったらば、
「それだからこその規律正しい軍隊」
ということを言い出すんでしょうが、「軍隊の規律正しさ」ってのもごっこ遊びの一種ですから。「礼儀正しいレイプ」みたいなもんで、まあ被害者の側からすると本質は変わらんのでは。

誰かが爽快感を味わう分、誰かが不快感を味わう。
そういうゲームだからこそ、アメリカ軍とイラク民兵が仲良く出来ないわけで。



戦争と政治は、大人のゲームだ」という話がありますが、
戦争はゲームではなく遊戯である」という意見もあります。
今回の話は、後者のほうに近いんだと思う。
つまり、利益争いの上品な延長戦というだけじゃなくて、

「戦争ごっこ」の延長線上に、ホントの戦争がある。

という馬鹿馬鹿しいことだが、事実っぽい。

「戦争は英雄を作らない」とどっかのヒューマニストだか役者だか漫画キャラだかが言ってたような気がしましたが、多分、戦争は英雄を作る。ボクもアナタも戦場ではプチヒーローですよ。命かかってるし、使命感溢れてるし、アドレナリン出てるし。
だって、ごっこ遊びだもん。
ごっこ遊びには、ヒーロー必須でしょ?


大衆はヒーローを、ヒーローは戦争を必要とする。
遊戯としての戦争を。お祭りとしての戦争を。

軍事産業の複合体が戦争を必要とする、とか、
影の独裁者が戦争を必要とする、とか、
そういう悪人が戦争を必要とするっていう陰謀史観よりも
われわれが暇つぶしのために戦争を必要としている、
というほうが、どーも結構ありそうな気がする。



「私達は戦いを好まない。でも平和のために戦うんだ!」
はい、そうですか。
あーいいよねー、平和の戦士。



軍備=バランスオブパワーの理屈は、そんなに間違っちゃいない。
でも、軍備を持つ本当の動機と理屈は別だ。
本当の動機は「ヤツラに舐められるのは、ムカツク
こういう、人間のサル的なところを認識するとこから始めませんか?
ということをダイアモンドさんとかが面白く書いていますが。

万人を愛せよ、敵を愛せよ、正義を愛せよ、ってのは、ちょっと難しすぎる。
そもそも仮想敵を作るってのは、動物の脳みそに必須のギミックだ。
それをなくしてしまう、ってのはみんなでロボトミー手術でもしないと無理だろう。

私もサルだし、あなたもサルだ。
サル同士のケンカが破滅に直結しないためのルール。
それは別に崇高なルールじゃなくていい。

自分の縄張りから3歩以上出ない、とか、単純な奴のほうが効く。
「テロとの戦い」とか「集団自衛」とか「国家間の警察機能」とか
変な例外用語を入れると、多分ダンダンよく分からなくなってダンダン気持ちよくなって来る
だってサルだもん。



「奴らはノリで世界を救う」というキャッチコピーがありましたけど、
「奴らはノリで世界を滅ぼす」という方が、現実には多い。
崇高なノリを盛り上げるために、国旗振り回しつつ、ラッパの調べ高く軍歌を吹き鳴らすわけですわな。

崇高なノリをむやみに味わうのは危険だ。
一日5食、クソでかいハンバーガーとポテトのLセットとピザ食べて、おやつにポテトチックの大袋を食べるくらいに危険だ。



どうも、かなりの人間は、物語を食ってないと、生きていけない。
(ボクがマンガ無しに生きていけないように、生きていけない。)
でも、「気持ちいい物語」は、欺瞞を含まずにはなかなか成立できない。



そういや、経済が停滞して「成功談」の物語が不足すると、その代替品として
ナショナリズムと、おたく的コレクションが流行るのだそうな。

今回のナショナリズム大流行も、結局のところ、不況で人生が退屈になったということ?

まあ、一時的に気持ちよくなるために他国に軍事レイプしに行くよりは、お部屋に引きこもって仮面ライダーカードでも集めているほうが、・・・まだましなんじゃないかなあ。

・・・まてよ、戦争もレイプも他人とコミュニケーションを図っているという意味では、引きこもりよりもましなのか?



以上、引きこもり予備軍のありがちなぼやき声でした。



と、言うような文を書いていたら、イスラムからの報復惨殺が。
もう、なんだか、バカバカしい悲劇が多すぎて、生きているのもイヤになる。
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