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ホリエモンとは何者だったのだろう

夜中にテレビつけたら、「朝生」でホリエモン話を延々とやってました。
そのツッコミというか傍観的感想。

■投機と投資
最近は短絡的な「投機家」ばっかり増えて「投資家」がいなくなった
・・・というのは良く言われる議論ですが、今回の朝生でもそんな議論が。

そこで気になったのですが、投機と投資の差の定義として
A 投資とは、その株券の配当を目当てにして買うものである。
B 投資とは、その会社の将来性やビジョンに共感して買うものである。
という二種類の言い方が、その場でも混同していたようなのですが、
・・・どっちが正当なんでしょう。 Aだとあまりに動機的に貧弱であり、Bの方がもっともらしく響く。

もし、Bのような考え方が正当ならば、「ホリエモンのパフォーマンスに共感して株券を買った若者」というのは、もっとも原理主義的な意味での「投資」に近いのではないのだろうか。
情報を駆使した「プロ投資家」などよりも、遥かに青臭く原理主義的な、投資。
そういう青臭さに比べれば「賢い投資家」が「投機家」にしか見えないほどだ。

もちろん、その見識が甚だ≪短絡的≫≪表面的≫であって、ホリエモンのパフォーマンスが安っぽいものである、ということには異論は無い。だが「投資」「投機」の違い、ということだけに注目するならば、ホリエモンの安いパフォーマンスに夢を見てしまった彼らは、世間ずれしてしまった投機家よりも、よほど立派な投資家であろう。

では、ホリエモンが彼らに見せたのは、何の夢だったのか?
あそこで語られたように「世の中金が全て」という短絡的な夢か?

おそらく、そんなことはあるまい。
どんな単純な洗脳術でもパフォーマンスでも、そんなにネガティブな理屈で人間を説得することはできない。ホリエモンのメッセージを文字通りに 「世の中金が全て」 としか読み取れないのは、「ホリエモンに反対した人間」であるからこそ、なのだろう。

おそらく、ホリエモンを支持した人は
「自分も、このでっかい世の中に対して、何者かでありたい」
という、至極オーソドックスで真っ当な夢を見たのだ、と思う。

■「何者かである」ということ

この世界では、通常の人間は 「何者でもない」 と感じてしまう。
えらくちっぽけで、世界に影響を与えることなどできない。テレビの中にはヒーローが映り、ニュースの上には指導者が喚いているにもかかわらず、それを見ている「私」は

何者でもない。
そう 「感じて」 しまう。その感覚の真贋はともかくとして、そのように 「感じてしまう」 ことがポイント。

良く話を聞いてみれば、ヒーローも政治家も、たいしたことは言っていない。少なくともモニタを通して距離を置いてしまうと、ずば抜けて自分との違いがあるようにも感じまい。
でも、彼らはヒーローであり、自分は何者でもない。
少なくとも、そのように感じることは、想像に難くない。

よく「ハイリスク・ハイリターン」「ローリスク・ローリターン」という選択肢が語られるが、物語上はともかく、実世界を見るとそんな選択肢は転がっていない。転がっていないように見える。

世に存在するのは
弱者的ベンチャの 「ハイリスク・ノーリターン」 という筋書きと
大企業資本の 「ノーリスク・ローリターン」 という筋書き
そういう構造に「見えて」きてしまう。

もちろん、「ローリスク・ローリターン」で「真っ当に生きている人」からすれば、そんな理屈は安っぽい勘違いでしかないのだろう。
しかし、「エネルギーをもてあますような精神的な若者」であるとすれば、「ハイリスク」という選択肢を求めるのは心理的には至極ありがちであって、真っ当である。
そして、だが、しかし、現状にはそういう選択肢がほとんど無い。

「俺は野球選手になるんだ」というような「超ハイリスク」の選択肢は、もちろんあるだろう。だが、ローリスクと超ハイリスクの間に、選択肢の空白があるのも多分事実なんではないだろうか。

ホリエモンが夢を見せたのは、その層なのだ、と思う。
世界を退屈だと思えるくらいに有能で、超ハイリスクを取らないくらいには現実的な層。その層に向けて
「何者でもない自分」から脱して「何者かでありうる」という夢を見せる。

それがホリエモンのスタイルだったわけだ。

■XXリスク・△△リターン

「それなりのリスクを負えば、何者かで在りうる」
「リスクテイカーに正当な報酬を与える」
大半の会社組織などで、そういうシステムを作ることに事実上失敗していると思う。
それは、そういうシステムが大方の場合「期待値的」にはコストに見合わないからだ。ある意味、残念ながら。

これにはもちろん「ローリスク・ローリターン」という「サラリーマンスタイル」こそが、現状において多数派が占める戦略位置であって、「ハイリスク・ハイリターン」というプレイヤが入れば、この戦略の利益が脅かされることになるから、という側面も強い。

したがって、サラリーマン世界での上司は常に「現実ってのは、そういうもんなんだよ」と言って若者に酒をおごることで、自分と同じ「ローリスク・ローリターン」派を増やすことになる。
(上司本人の意図が、そんな戦略的なものであると言うわけではないですが。むしろそういう人は「いいひと」であり、「いい人の行動」というのは、そういう戦略だと穿った解釈をすることもできる、ということ)

まあ「成果報酬」という考え方を導入しようとして、結局色んなところで失敗したと言うことは、この国の社会体系にはそもそも「ハイリスク・ハイリターン」的な発想が馴染まない、ということなんだと思いますが。
「ローリスク・ローリターン」で、人間の大半は生きているし、昔から日本人はそうやって生きてきた。そっちの方が「真っ当」で「正当」なんだろう。

しかし、その一方で「ハイリスク・ハイリターン」という「物語」は描かれ続ける。
それは、少年ジャンプでも、ヤングジャンプでも、ビジネスジャンプでも、ビジネスワールドサテライトでも。

このあたりは、近代的な倫理観「自由」というのは、西洋的な社会システムからできているものなので、現在の我々がその倫理観に基づいている言葉を使っている以上、「ハイリスク・ハイリターン」という物語は、自然に自己を再生産してしまうからなんだろうと思いますが。

ホリエモンのフィールドは、この空白地帯にあった。
「ハイリスク・ハイリターン」 を生きる 「何者かである」 という 「物語」

■マネーゲーム?

「結局ホリエモンがやりたいのはマネーゲームでしかなかった」
「『ちゃんと仕事をする人間』であれば、ああいう結果にはならない」

ええ、みなさん、そうおっしゃいます。
・・・・・・そうなんでしょうか?

以下の話は、あくまで根拠の無いフィクションとして読んでください。
根拠無いですから。

ようするに、ホリエモンは「何者か」でありたかっただけなのではないのだろうか。
問題は「何者か」に入るべき≪具体性≫が欠けていただけであって。
具体性の代わりに、何とでも置換可能なはずの代数 「金」 を入れて方程式を組んでいた。ただそれだけのこと。

そういう「欲望の空白」ってのは、よくあることですよね。
昔話で聞いた範囲だと、大学紛争とかさ。
やってみたら、何がしたいのかよくわかっていなかった、と。
そういうのを 「若者らしさ」 というのだろうが。

そういう意味で、若者の欲望の代表者だったわけで。

ホリエモンが「球団のオーナーになりたい」と言い出すまでは、「ただのマネーゲーム屋」だったわけですよ。お金転がすだけなら、実は昔からそういう人は結構な数存在していて、テレビにも出ない。

でも、彼は目立った。
球団のオーナーになろうとした。
テレビのオーナーになろうとした。
政治家になろうとした。
「何者か」になろうとした。

「何者かである」という演技によって、「何者かでありたい」という若者の欲望を代理して、その力を支持基盤として行使して、さらに演技を拡張して支持を増やす。
ある意味、ただの「アイドル」。偶像。
ジャニーズよりはリアルであり、政治家ほどフォーマルではない。だが、それらの構造と、あまりにも似ている気がする。

ここには、「観客」と「演技者」の心理的な癒着構造があって、その両方が「現代における何者か」という像を描こうとした。その像は当然、現代社会における最強の兵器「経済」を基盤にしていた。

「マネーゲーム」がしたいのか。「パフォーマンス」がしたいのか。おそらく、その二つは「何者か」という概念のもやもやした手ごたえの無さの中で、絡み合っている。
パフォーマンスをするためにマネーゲームをするためにパフォーマンスをするためにマネーゲームを必要とした。

ただ、欲望の根っこだけが無かった。

*

そんな中で、ホリエモン自身がえらく倦んでいたような気がする。
「飽きちゃったな」と。
「飽きちゃったから、球団運営」
「飽きちゃったから、テレビ運営」
「飽きちゃったから、政治家」
「飽きちゃったから、宇宙開発」

金が手に入ったら、女がよって来た。それに酔いつつ絶望している。
金が手に入ったら、人がよって来た。それに酔いつつ絶望している。

「何者かである」という外向けのアピールと、「中の人」の乖離。
「欲望」を実現したときの「退屈さ」を味わって、中の人が空っぽになるのを感じれば感じるほど、外に向けてアピールする必要が生まれる。アピールは短絡的になり、大げさになる。そのアピールは破綻するまで大きくなり続ける。

そういう現象を、我々は知っている。
かってある人が「バブル」と呼んだのだ。

*

さっきから、私はどうも、見てきたかのように勝手な話を書いている。
何でこんなことを考えるかと言うと、あのふてぶてしい表情に
「欲望しながら絶望する私」を重ね合わせているからだろう。

そして同じように、あの「欠陥」に、多くの人が自分自身を重ね合わせた。
その多くは、「精神的に若者である人々」だった。
それがホリエモン・ライブドアを支えていたんじゃなかろうか。
それが欠陥であり、ワガママであり、虚像であることも知りつつ、
「何者かでありたい」自分を、もてあましていたのだろう。

バブルが消えると、等身大のライブドアという会社が残るんだろう、と思う。
ローリスクで、ローリターンで、えらく退屈な。
・・・いや、ここは真っ当な、というべきか。
それゆえに社会的に許容される会社が。

■ドロドロしてグルグルしているもの

・・・つまり、

「ホリエモンは『真っ当な仕事をしていない』」
「ホリエモンは『犯罪行為をしていた』」
「ホリエモンは『マネーゲームをしていた』」

という 「社会の側からの正当な理由付け」 を行うことで、「僕は悪くない/奴は悪い」という切断行為による逃亡をしようとしてはいないのだろうか?

「投資」と「投機」という言葉を分ける事で、「まっとうな投資家」と「マネーゲーム」を切り分けようとするように、「善/悪」を切り分けようとしているのではないだろうか。
もちろん、資本主義の原理上、「真っ当な投資家」が存在する、という答えは必要である。
そして、その 「答えがあらかじめ決まっている」 事自体が、問題を捻じ曲げていく。
モラルとしての 「善/悪」 の境界線を引かなければならなくなるからだ。

ホリエモンは、常に境界線ギリギリの上で踊っていた。
「あそこが悪である」という言い訳さえできれば、正当化さえできれば、社会は再び枕を高くして眠れる、ということなのだろう。

もちろん、そういった「善⇔悪」の軸を放棄してしまえば虚無的な奈落に転げ落ちるばかりなのだが、閾値があってデジタルに切り分けることができると考えるのも・・・・どうも短絡的に感じる。
なぜなら、私は、「行為の正当性」と「行為の動機」は、大抵は別のところから生まれていると思っているからだ。その「動機の世界」の方には、「善/悪」で綺麗に語るには、あまりにもドロドロした人間のエネルギーが渦巻いているように見える。
そして、かなり多くの人が非難したがっているのは、「行為の正当性」ではなく、「暴走性のエネルギー」それ自体であるようにも見える。そして、そのほかの人が弁護しようとしているのもまた、このエネルギーの存在について、なんでしょう。

「私は何者かでありたい」
その意識の共感からホリエモンは力を引き出して、・・・暴走したらしい。(まだ司法の結論が出ていないうちに、有罪扱いするのはどうかと思うが)

この力はたやすく暴走する。ファシズム然り、革命然り。
だが、この力を失えば、社会はゆっくりと沈鬱に死に至る。
ホリエモンを封じることで、この力はどこに行くのだろう?





でも一応、ご意見は 「コメント欄」 の方をご推奨。オープンなのは大事だと思うので。

・・・しまった、朝生それ自体の感想を書き損ねたよ。

※参考リンク )
fromdusktildawnの遊び場 -
騙されるな!「騙されるな!「ホリエモン以上に詐欺的なベンチャーの内情」は醜悪なインチキ記事だ!」は醜悪なインチキ記事だ!

この人のメタ自作自演芸が一番面白かったです。まあ、オールドエコノミーの罪状は確かにねえ・・・。

内田樹の研究室: 身の程を知れ
・・・正直私はここまで正論調に悟りきれませんが、まあ、同じような動機付けの話なんでしょう。






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いや…もう色々言い出すとキリがないといいますか
複雑多岐にわたる問題なので、ややこしすぎて
私にはそこまで深い洞察できないんですが…
とりあえず私はホリエモンに限らず、有名大学出のIT系
若社長なんて皆この前の古畑任三郎ファイナルに出てた
犯人のパン工場社長?みたいなもんだと思ってたり。
世間知らずのくせに、ちょっと頭が切れるからって
自分が何でもできる、特別な存在なんだとカン違い
しちゃってるイタタな若造っていうか…
それで生涯勝ち続けて、一財産作って隠居でもするなら
カン違い野郎じゃなかったってことなんでしょうが
ホリエモンみたいに調子こきすぎて途中で失敗すると
=カン違い野郎って感じで。
ちなみに、人生の勝ち組、負け組的論理と
○○リスク、××リターンの論理に関しては
今の世の中で、それについて偉そうに語ってる
「自称」勝ち組連中とか経営者連中より
福本伸行のギャンブル漫画「アカギ」の論理のほうが
よほど納得できるし好感持てます(笑)

大槻ケンヂ氏率いるパンクチーム
特撮の「身代わりマリー」という曲の
一節が思い浮かびました。
「マリーの孤独は普遍的で
 僕たちの共通項
 身代わり
 この世界は
 誰かが身代わりさ」
ホリエモンは僕たちの欲望を抱え墜ちていったのか?
マスコミがホリエモンの駒を「悪」側に配置して一件落着。
なんか、釈然としない。
不完全燃焼というか、残尿感というか。
僕はホリエモンのことを考えると
ライブドアの法律違反より
どうしてもマスコミのズルさ・汚さに苛立ってしまい
考えがまとまらないのです。

仮面ライダー孔鬼さん
>「アカギ」の論理のほうが
> よほど納得できるし好感持てます
あー、私は地下労働編のカイジとか黒沢の方が・・・。
まあIT社長がビジネスを語るのは、野球選手がバッティングを語るようなものだから、「へーすごいねー」と受け流しておくぐらいの気持ちで良いんじゃないでしょうか。薀蓄語りたい願望って考えると、私も人の事いえないので、まあ大目に見ましょうよ。人は人、我は我と。
ノリタカさん
>なんか、釈然としない。
>不完全燃焼というか、残尿感というか。
「残尿感」は言いえて妙ですな。その辺については、私ももう一つかきかけのエントリがあるのですが・・・。今日書き上げようかと思ったのですが、なんか部屋の掃除したら時間切れ。
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