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なぜアニメやマンガにやたらと学校が登場するのか

なぜアニメやら漫画やらには、やたらと学校が出てくるのか?
 
「子供向きの話だから主人公は読者と同世代に」
というような話が昔から言われているのだけれど、それだけでもないような気がする。明らかに対象が青年向けであったとしても、学園モノというジャンルは明らかに多いし。
 
・・・要するに、現在の読者が「共通」に持っている「リアリティ」のある空間は、学校しか見つからない。
そういうことなのではないだろうか。

*
■シンボル・リアリティ・学校■

たいていの物語というのは、言葉とか、見慣れたシンボルとかを一つ一つの要素としてその上に構築される。
そのシンボルに 「過去の自分の体験」 が結びついていると 「リアリティのある想起」 ができるようになる。そうでないものについては、想像で埋めるしかない。

たとえば、藤子不二夫なら、リアリティのある空間はおそらく 「土管のある空き地」 なのだろう。
でも、少なくとも私はそういう世界で生きたことが無い。土管の手触りや、登り方、座り方、中の感覚(家出の宿泊場所?)などは、似たような体験から類推するしかない。

手塚治虫は鉄腕アトムで 「武蔵野の自然」 についての話を書いている。だが、これも現在の私たちにはさっぱりリアリティの無い「知識」にしか過ぎない。

*

アパートに住んでいた人間には、庭という空間にリアリティが無いし、一軒家にしか住んだことの無い人間には、団地のエレベータにはリアリティが無い。もちろん、それを知識と別の体験を組み合わせた想像力で生めることはできるのだが。
だが、想像力で埋められた世界感覚というのは、往々にして脆弱だ。かっての日本の「西洋っぽいファンタジー」に泥の臭いがしない印象があったのはそういう理由なのだろう。

そんな中で、「学校という生活環境」だけに、大半の日本人の共通リアリティがある。

窓枠の形、廊下へのクリーム色の扉、黒板の臭い、下駄箱の手触り。

机には、前の年の利用者がくだらない掘り込みをしていて、シャーペンはそこで引っかかる。画鋲がやたらと床に落ちていて、上履きをひっくり返すと10回に一回くらいは刺さっていたりする。体育館倉庫のかびた臭いやら、空気の抜けたボールやら。

最近の学校はもっと綺麗になったのかもしれないけど、私の記憶にある時代での学校というのは、そういうお約束の共通感覚がやたらとあった。国民全員が同じ規格品を使っていたゆえの、共通感覚というか。

会社に入ってから、仕事の都合でとある高校にお邪魔したことがあった。私の通ったような公立高校ではなく、結構おぼっちゃま/おじょうさまが通うらしい私立の高校だったのだが、それでも、砂煙の立つ中庭や、埃っぽいコンクリートの臭いを嗅いだときに、何か色んなものがフラッシュバックするのを感じた。

一緒に行った先輩が、校庭で走る生徒を見て
「あー、部活してえ」
と呟いていた。

そういう、触覚と嗅覚の記憶は、ものすごく記憶の中の「何か」を揺さぶる力を持っている。

そういう意味で、「学校という建物」につながっている私の触覚の記憶は「掃除」という行動が多いかなあ。
雑巾に手をかけて、廊下の端から端まで競争する小学校時代の記憶とか。摩擦係数を減らして速度を上げるために、乾拭き雑巾を小さく丸めて・・・って、掃除になってねえし。
バケツのきったねえ水にじゃぶじゃぶ雑巾浸して、絞ると茶色い水がだらだら垂れるときの、水と布の触覚のこととか。
ボロボロになった箒には、毛がほとんど残ってなくてまともに掃けないことや、埃が塵取りに入らないことや。

その辺が、私の学校という環境の身体感覚の記憶か。

*

■「身体感覚」としての国民性■

大塚センセイが、「アニメーションの無国籍性」について危惧した意見をチョット耳にして、上のようなことを思った。

「国民性」や「歴史」と結びついた物語を語るのでなければ、労働力やら技術やらなんて、ホイホイ海外に流出していってしまうだろうという危惧。

その点についてはごもっともだとは思うのですが、もしその意見を読んだ人が、万一「国民性」というのを「歴史の教科書」という神話の上にだけ見出そうとするということを意味しているならば、それはどうかなあ、と思う。

「歴史教科書の情報を、別の歴史教科書で打ち消し」とか頑張っている風潮が見られて、それを指して愛国心云々ということが多いのだけれど、それって所詮どっちも、記号情報に過ぎないしなあ、と。

そういう記号情報も大事だと思うのですが、食ってもイマイチ腹が膨れる実感がないというか。
リアリティが無い。

リアリティの無いところで腹をいっぱいにしようとすると、記号の刺激を増やしていくしかなくなってしまう。
そういう危険性が、どっかにある気がする。


■リアリティの代理:刺物■

A 数字化
たとえば、ドラゴンボール的なお話の「特訓」シーンで、リアリティを持たせようとすると、「走る」「重いものを持つ」「腕立て伏せ」というあたりに落ち着く。だから、孫悟空は手からカメハメ波が出て、月を片手で壊せるようになっても、なお、腹筋運動をする。
その辺の「読者のリアリティ」と「表現の増加」のアンバランスを両立するために「100キロの重り」とか「20倍の重力」という数字を入れる。
そういう数字という一次元情報に落とすと、スカウターで計る戦闘能力の数値化みたいなもんで、やっぱり刺激の拡大欲望に引きずられて、数字のインフレゲームになってしまう。

B 消去法的アイデンティティ
もしくは、数字化せずに別の刺激を求める方法として 「異であるものを非難する」 ことによって、グループの結束を高めるという 「消去法的アイデンティティ」 の方針になるのか。
例えば、内部の俺たち(共感可能)は私のグループ、外部の人間(共感不可能)は彼らのグループ、といった境界線引きの二分化論争で派手な格差を見せて、危機感をリアリティ(共感)の代理とするとか。 (例:「花より男子」の平民/セレブ)
または、「派手な戦争(非リアル)」と「平和な学園生活(ちょいリアル)」みたいに体験の格差を強調するってことで、感覚の格差をリアリティの代理にする。(例:「エヴァンゲリオン」、「ガンパレードマーチ」)

C 装飾
あとは、BGMや効果音っぽい装飾ですかね。
ちょっといい話には感動音楽。ジョークに観客席の笑い声。ネタを強調するテロップ。
そうやって、後ろからやたらに派手な装飾をすることで、雰囲気的・感情的に記号を誇張してみるとか。


いずれにせよ、リアリティが不足すればするほど、やりすぎ方向に転げ落ちていく可能性が満載。

*

そういう、やりすぎ感自体も効果的だし、短期的には面白くはあるのですが、やっぱり何かの 「体感的なリアリティ」 と組み合わせた方が、長持ちする表現として効果的であるのは間違いない。

上に挙げた例の「DB」「花より」「エヴァ」「ガンパレ」などでも、「リアリティ」の側が上手く魅力的に描けているから、格差の存在が効果的になるわけだし。そこにリアリティが無かったら、ただの格差暴走になる。

*

■生活環境のリアリティ■

我々の世代の共有できる 「生活環境のリアリティ」 ってなんなんだろうなあ。
(↑人間関係のリアリティさじゃなくて、という意味)

押井守カントクの描きたがる、「消えていく街としての下町っぽい東京」 というリアリティに乗っかるためには、いささか私の世代はずれてしまっている。

宮崎カントクの、「草むらを駆け下りる」 リアリティについてはなおさらだ。その辺になると、むしろ「宮崎アニメを反復する」というシミュラークル(※1)みたいなリアリティしか持っていない気がする。・・・残念ですが。

ガイナックスが持ち込んだのは「夕焼けと電柱」というリアリティかなあ。これは、私の世代においてもまだ共通に保たれている、と思うかな。

確か子供の頃、東京電力のCMソングでこんなのがあった。

「ぼーくはさんちょーめーの、でーんちゅうーですー
 あーめのひ、かーぜーのひ、まちかどにたーちー
 とおーくをみーてまーす、ながめていますー
 ゆーやけおーそらは、いわしぐもー
 そーろそーろあかりを、つけましょねー」

やや怪しい記憶だが、こんな歌。 私、まだ歌えます。
でも、こういうコマーシャルソングというのは生存時間が短いので、ホントにピンポイントの同世代しかわからんですな・・・。


「大阪万博」を共通のリアリティとして描く名作が結構増えている。
クレヨンしんちゃんの「オトナ帝国」やら、「20世紀少年」とか。
でも、それを語る資格があるのは、わたしよりちょっと上の世代。
「未来世界の図」が、少年雑誌に載っていた世代の男の子たち。

私はもうちょっと下の世代で、「今を謳歌しよう」といって多少無理な背伸び感のあるメッセージを送りあっていた、80年代の安っぽいキッチュな世界で育ってきた覚えしかない。
そして、90年代の迷走。

確かにあの時代は、無国籍的ななにか(本当は欧米的な何か?)を目指していた。
良い面も悪い面も含めて。

*
■「日本的」なシンボルのリアリティ■

「だからこそ、日本的に」というのが、今の我々の世代の反動なんでしょうね。

「日本的なもの」ということで考えても
「サムライ」やら「巫女」やら「メイド(?)」やらは、あきらかに
「物語で書かれたから知っている」
というシミュラークルだしなあ・・・。それをもって「日本の国民性」とか言われても、そこにリアリティは不足している気がする。
少なくとも三者のどれも、私の交友関係にはいないです。

「妖怪」や「シャーマニスム」は微妙・・・かなあ。

たとえば、私はイギリス人トールキン教授が描いた「指輪物語(ロード・オブ・ザ・リング)」の世界には、「大英博物館の古代の陳列物」として愛好する種類のリアリティしか持てない。

では、日本妖怪については、どうか?
「妖怪まくらがえし」にリアリティを感じるか?・・・でも私の枕、ドンキホーテで買ってきた低反発枕なんですけど。これもひっくり返してくれるのかな。

私自身、妖怪譚は結構好きでは在るのですが、どうも 「生活体験との密接度としては西洋ファンタジーと似たり寄ったり」 で 「一応日本の所有物になっているらしい」 という国籍書類上の所有権があるというだけな気がしないでもない。さびしいね。妖怪ゆかりの地めぐりでもすると、また違うんだろうけどねえ。
「コックリさん」や「学校の怪談」というのが、どうにかリアリティのある体感文化としての妖怪か。「学校」と結びついているしね。確かにその手の物語は多い。


まあ、そういった共有リアリティの喪失はどの先進国でも同様だろう。イギリス人が指輪物語にリアリティを感じるかというと、?がつく。そもそもハリウッド映画はニュージーランドで撮られているし orz。

でもまあ確かに、イギリスの「草しか生えていない山」と、日本の「松林にかこまれた山」は明らかに違っているな。

そういう意味では、歴史年表なんかよりも、植物体験の共有のほうがまだ「リアルな国民性」だと思うなあ。

*

リアリティの限界ラインは「口伝」という要素ですかねえ。
おばあちゃんの口癖、とか。昔話、とか。近所での会話、とか。

ウチの家族には妖怪話する人いねえなあ。だから私の「妖怪」はシミュラークルなのか。
あと例えば、私の「戦争歴史のリアリティ」は、「軍に反発して前線送りにされた挙句、戦犯にもされかかったお爺ちゃん」 という貧乏くじの話だしさ。歴史のリアリティなんてのも、所詮そんな程度のもんじゃないのかなあ。

*

■共有リアリティと流行、パロディとリバイバル■

そういえば、
北野カントクが筑紫哲也センセイとニュースで対談していたときに
「最近の歌もドラマも、確認のメッセージを飛ばしあうばっかりだ」
という不満を漏らしていた。
「ぼくはここにいる」「きみはそこにいる」「僕は君を愛している大丈夫」というような「絶対に否定されないメッセージ」だけを交換して、「共感」と「安心」を訴えるメディア作品だけが流行っていると。

さすがに視点が鋭いなー、とおもった。
そういう、「みんなといっしょ」という「安心」のメッセージから、先に踏み出すのが怖いという強い不安感に襲われている面はあるような気がする。それも「共有リアリティの喪失」と関係あるのかねえ・・・。
まあ、その挙句に「みんなといっしょ」であることの閉塞感に囚われるのだから世話はないのだが。

「共有できるリアリティ」という前提知識の上にしか築けない、複雑で高度なドラマは、それを見る対象を選ぶ。つまりそれは、同一の文化・体験・その他「何か」を経てきた人間。それだけに対象が限定される(※2)。

そのような希少な共有リアリティの一つとして「昔見たマンガ」が選ばれるのならば、それは朝目新聞のようなパロディ世界になるのだろう。
もしくは際限なく再生産される、リバイバル作品、か。

それが 「不足した生活空間の共有リアリティの代替物」 でしかないと考えて嘆くのか。それとも、文化がリアリティである以上、そのような物語の再シミュラークルもまたリアリティの一部であると考えるべきなのか。

その辺が、21世紀の文化をデザインするポイントになるのかなあ。ちなみに、私自身の意見は(やや条件付で)後者ですが。

*









※1 シミュラークル (はてなより引用)
>・・・オリジナルなきコピーのこと。
>
>元来は文化人類学の用語であり、ある土地の伝統文化が
>滅びてしまった後、後世の人間がそれを惜しんで復活させた
>「まがいもの文化」を指す。
>
>(中略)
>「シミュレーションとは起源も現実性(realite)も
> ない実在(reel)でつくられたもの、つまり(hyper reel)だ」


※2
「視聴率」にせよ、「売り上げ数」にせよ、ひとつひとつの個別の密度(質)ではなくて、参加した人間の数(量)だけが必要とされるのが、現在の社会システム。
だからこそ、そういう 「間口を狭める」 可能性のある高度なメッセージは、商業面で落第になる可能性が高い。さびしいね。
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私はアレです…高校時代は男子校だったので
学園モノのアニメとかゲームとかやっても
萌えというよりちっとも実感が湧かず
むしろ「こんなんだったら楽しかっただろうなぁ…」という
憧憬の念しか浮かんできません…

>高校時代は男子校
私は理系だったので、男子だけのクラス
所謂「男クラ」に放り出されていたりして。
いずれにせよ高校時代の恋愛リアリティは
私の周辺に転がっていなかったような。orz

学校の設定ものの漫画やドラマを見ていると時折無性に懐かしく寂しい気持ちになります。歳をとったきたのかとふと感じますね。
(TДT)・・・

>無性に懐かしく
・・・そういうことなんでしょうね。
きっと僕らの脳みそが思い出の中に帰りたがっているのです。

>男子校だったので・・・学園モノ実感が湧かず
学園モノのアニメやゲームって、
学校自体にはリアリティがある→本来、学校には女の子もいるもの→
じゃあ学校というリアリティと女の子に囲まれるという夢を(“むりやり”)くっつけよう→
女の子に囲まれた経験がない人でも[女の子に囲まれる]にリアリティが湧いた!
ってモノだと思う。
無理矢理過ぎか。
>憧憬の念
これを錯覚に勘違いできる人が学園モノを楽しむのかな?
ちなみに私も男子校です。

>男子校だったので・・・学園モノ実感が湧かず
学園モノのアニメやゲームって、
学校自体にはリアリティがある→本来、学校には女の子もいるもの→
じゃあ学校というリアリティと女の子に囲まれるという夢を(“むりやり”)くっつけよう→
女の子に囲まれた経験がない人でも[女の子に囲まれる]にリアリティが湧いた!
ってモノだと思う。
無理矢理過ぎか。
>憧憬の念
これを錯覚に勘違いできる人が学園モノを楽しむのかな?
ちなみに私も男子校です。

アニメやマンガに学校が登場するのは…
私なりに考えてみたら、みんなが共感した状況下での共通の思い出や懐古、そして実現できなかった夢の実現じゃないですかね(三等兵さんの考えのまんまですが)
実際に経験した事でドタバタなりエロ展開になるなりすると、純粋に「面白い」と思えるんです。
例えば、自分の町がゴジラにでも壊さたり、自分の知ってる人がテレビに出てたりとか。
三等兵さんは「リアリティ」という単語で文を貫いていますが、共感・共通意識というのはすごく商品として価値があると思うんです。だって、誰だって(仲の良かった)昔の友人に会って、昔のバカ話で盛り上がるってうのは凄く甘美なもんだし、自分の意見が通る、自分の考えが認められるというのはすごく居心地がいいですからねぇ。漫画やアニメ作品というのは「夢を見れなかった人たちに夢を与える」というクリエイター、【=漫画家】なんじゃないかなと思っています。だからこそ金を払って買おうという気になりますし。
たとえばそれが、意味不明の自己中マンガでも、「絵がなんだか好き」とか「話の流れがまったりしてて好き」だとか何かしら好きになる要素はあると思います。でも、一般全員に受けるといえばそうでないわけで。
ただ、夢を見させる側のクリエイターから言うと、「お前ら結局自分自身の事だけしか考えてないんだろ、俺の率直な意見を反映した漫画は自己中とか言って嫌がるくせに」と悲しいことを時々思っちゃうんじゃないでしょうか。
リアリティがあるというのは強みであり、この場合はどうなっちゃうんだろう、どんなことがこの後おきるんだろ言うといった知的欲求の基盤になりえるものと同時に、作品にメリハリと色を添える的な意味合いで私は良いと思います。最近では、どこかから持ってきて「ハイどーぞ」的な漫画は悲しいですが・・・。
長文すみません。。三等兵さんの意見を拝見しますととても自己が出来ていて、それでいて自己に捉われずに色んな視野から分析法を持ってて来るので面白いですねー(笑)。
そんな中私も何か言いたいって即発されちゃいました。

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