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素人パロディ屋ごときが著作権についてブツブツとつぶやいてみる

私などのようにwebで好き放題している人でも、「著作権」という奴が時々気になる。

以下は、私の意見のまとめ。
事実誤認やご意見・反論・ブーイング等などありましたら、幸いにもblogシステムなので、コメント欄にご指摘が、いやもう大歓迎な雰囲気。

************

なんで、こんなことを書きはじめたかというと、ぴ さんのblogネタ (2/16のもの) に刑戦装束の解説絵(?)を使ってもらったからだ

私とってはwebにあげた私の絵の使用は大歓迎。ぴ さんのネタも面白かったし。礼儀正しく、使用許可までお問い合わせいただいてしまった。
ただ、このキャラクタは言わずとしれたTITE先生の著作物。いわゆる2次創作というもの。
そんで、考える。
この絵について私がOKと言う権利は何パーセントあるのか?

************

苦労して何かを作った人は、そこから利益を得る権利があるだろう。
それが著作権のおおもとの考え方だ。原始著作権とでも言うべきなのかなあ。

■農業■
苦労して種まいた権兵衛さんは、お米を刈り取って食べる権利がある。
そりゃそうだ。
この原則はたいていの人が納得する。

ただし、権兵衛さんはお米のDNAを開発した人じゃない。開発コストはかかっていない。
自然に転がっていたお米を拾って(または買って)コピーした人だ。
ただ、コピーするのにすごい手間がかかっている。だからこれは権兵衛さんの米だ。
農業の場合にはわかりやすい。…遺伝子改良とか考えなければ。

■工業■
では、フォードさんの言うとおりにネジ回して車を作った人は?
まあ…会社内の話だし、取り分を決めておこう、と、いうことになる。
設計した人はこれだけ、ネジ回した人はこれだけ、元手を出資した人はこれだけ、という取り分を決める。
まあ、内訳を色々と考えると面倒だけど、大雑把な近似では
費用=基本設計の回収費+コピー費用
となる。
車だとコピー費用の方がバカ高いから、「基本設計の回収費」はマージン程度。
まあ大体なんとかなる。

■情報産業■
では、ソフトウェア、音楽CDは?
コピー費用はあきれるほど安い・楽チン…のはずだ。実質的には。
でも、全国のTowerRecordとTSUTAYAに配布する手間と、宣伝費用は馬鹿にならない。
かといって、宣伝されてない音楽は、売れない。

このへんから問題がこじれてくる。
「コピーの費用」というのが、実は
「物理的な情報コピーの費用」ではなくて、
「宣伝による模倣子(ミーム)の拡散にかかる費用」である
というややこしい話になるからだ。
…なんともはや、Stand Alone Complex

************

では、そもそもオリジナルとは何か?それは「権利」という形で縛るべきものなのか?
というお堅い話題が問題になってしまう。

奈良の大仏を建築した聖武天皇は、多分、お釈迦様に肖像権を払っていない。
…いや、これは僕の推測だ。ホントは払ってるかも知れん。教えて宮内庁。

ローマ法王はよく、等身大の磔フィギュアを飾っているが、多分、肖像権は払っていない。
…もっとも、あのキャラクタについては、ローマカソリックがもっとも活発に宣伝活動をした団体なので、むしろあそこに著作権があるともいえるかもしれない。

このように
「古典」となったオリジナルは、もはや誰にも帰属しない。世界の共有財産である。
ローレンスさんはこの手の話を「共有地=コモンズ」と表現したりした。

「オリジナルの創造」には敬意を表するべきだ。
でも、オリジナルに無限の権利を認めてしまっては、文化が発展しない。
だから、条件は付けて再利用を積極的に認めようじゃないか、と。
これがクリエイティブ・コモンズと呼ばれる活動をしてる人たちの発想。

まー色々と良い事を言っている。私もこのマークをこのサイトに貼り付けている。
私のこのサイトの主張としては

・無料でやっている人は、私のサイトの著作物を無料で使ってOK
・ただし商売でやりたい人は、要相談(要は分け前よこせ、と)
・私のサイトのデータをタダで使って作ったデータを商業利用するのも、ちょっと待った

ということにしている。
だから、さんの再利用は(少なくとも私に関しては)無料+大歓迎。

だが、今のところクリエイティブコモンズは
「自分の作ったものについての再配布」という正論を通すだけで結構忙しい。
そのため、私のように「パロディ」というグレーゾーンで遊んでいる人間は、この正論から半歩ずれた所で身の振り方を考えたりする必要がある。

************

私がここでやっているお遊びは、
二次創作というのに分類されるわけですが、

・漫画コラージュ
・ファンアート
・パロディ


の三種類くらいがある。…この呼び方でいいのかな。

・コラ  :絵はコピー、キャラクタは拝借、話は半オリジナル
・ファンアート :絵は模写、キャラクタは拝借、話は…絵だとそもそも無し?
・パロディ :絵は模写、キャラクタは拝借、話は半オリジナル

なぜ「半」オリジナルと書くかというと、大抵のパロディは、参照元のシーンをアレンジすることで生まれてくるからだ。コラはなおさらだ。

しかし、アレンジはコピーではなく、プラスアルファがあるものと信じてはいる。

例:replace.jpg

こんな風にキャラが代わると、私の萌えニューロンは一気に発火する。
これをみると、
「シーン X キャラクタ (X キャラクタ)= 妄想力ゥゥゥ」という
マス大山の計算理論みたいな理屈がわかってもらえるかと。

実際、「創造」とか偉そうに言われるもののかなりの部分は、こういう「アレンジ」である。(この辺の議論は、例えばオタキング「いただきシルクロード」理論 (inぼくたちの洗脳社会)とかが分かりやすい)

あー脱線。

************

で、話を戻すと
コンテンツホルダーの方々の2次創作への対応としては

・ファンアート :大抵は黙認
・パロディ :場合しだい
・コラ :微妙(本来は黒?)

ということになっている…らしい。
絵の「コピー」がボーダーラインなのかなあ・・・。
一応今回のネタは気を使って模写したが、スキャンするのと本質的には変わらない。手間くらい。
実際、コラは現状の法律ルール下でガチに訴えられたら結構きついだろうと思う。
だからなのか、デスノコラとかも匿名で出している人が多い気がする。

だが、デスノコラは、コピーを楽しんでいるのではない。
明らかにプラスアルファ部分を楽しんでいる。
この辺は、ぜひ「単行本買うなら合法」くらいは公式に認めて欲しいもんだ。

GAINAXにはエヴァについてはファンアートの公認システムがある。もとがオタク集団だからオタクフレンドリー。これはガイドラインとしては、わかりやすくて重宝する。

ウォルトさんの会社は黙認もしないらしい。奴らは文化祭に黒ネズミの絵を出しただけで訴えてくる、と、中学の美術の先生がおびえていた記憶がある。
blackmouse_.jpg
うわー危ないよお、ぎりぎりだよお。

小学館も「青猫ロボット」に対しては結構うるさいと聞いた。
bluecat_.jpg
大丈夫かなあ、おい。

そういえば、昔web絵描きが参加したエヴァ系の本で、私もEVANGELION復讐編なんて連作4コマを書いてみたのですが
特撮の神様の会社の銀色の宇宙人ネタでこんなネタを出してみたことがありました。編集作業で忙しかったCGFREEのPIRICAさんに、これくらいのネタは大丈夫ですよねえ、著作権、とか結構マジメに訊いた覚えが…。

************

してみると
私のお遊びは、「現状の法律」の範囲内では、生きるも死ぬもコンテンツホルダーの気持ちひとつ、といった風前の灯なのだが、「本来は」どうあるべきなんだろう。

というか、ルールがどうなったら皆がハッピーになるのだろう?

一番初めの「原始著作権」的に考えると、コンテンツホルダー側からの主要な注文は2つだと思う。

A.コンテンツホルダーの「利益」を保持すること
B.キャラクタコントロールの権限を保持すること


A:利益確保=========

(例1) 来週ジャンプのページを全部webに出してしまったら、ジャンプを買わない人が増える。

これがものすごく分かりやすい利益の略奪だろう。
upした人がwebサイトで金を取っていようが取っていまいが、集英社には不利益。むしろ、タダで公開されてしまったら見る人数が増えるから最悪ともいえる。
TV放送した内容を動画としてnyに流された場合は、DVDが売れるかもという可能性を奪っている。

(例2) アイシールド21のTシャツを勝手に作られたら、将来アイシールドのTシャツを作ろうと思ったときの潜在顧客が減る。

これは、もうちょっと微妙。「キャラクタビジネスの利益の可能性を奪っている」ということか。さらにいうと「おこづかいの合計は一定で、買えば買うほど所有欲は減っていく」という理屈が裏側にある。…この理屈が正しいかどうかは知らんけど。

(例3) 世の中に黒ネズミの絵が沢山あると、黒ネズミのありがたみが減る。

広告商売でキャラクタの絵を使う場合には、当然使用料金を取る。
で、ある以上、その広告の絵には「ありがたみ=希少価値」が無ければいけない。ディズニーが文化祭のネズミ絵までをコントロールしようとするのはこの辺が理由か。
個人的には、このレベルでのファンアート規制は欲張りすぎな気がするけど、なあ…?


B:キャラクタコントロール=========

(例) 記憶がときめいたりするエロゲーヒロインの清純派イメージをKONAMIが保護したい。

まあ、この例は矛盾している気もするが…、著作人格権とかいう奴ですかねえ。

しかし、これについては同情・共感しなくも無い。私自身の心境としては。

手塚先生が手塩にかけたアトム君が、ウランちゃんと近親相姦しているような漫画を見たら、…ペンを投げつけてくるか、カ●ラを外していることも忘れてベレー帽を叩きつけることでしょう。あの先生ならきっと。

ただまあ、そこんとこのブランドイメージを崩すことに蜜の味があるのも事実。過去私の作ったパロディなんかは、大抵、そういう「キャラクタイメージのギャップ」で笑いを取っている。

小学館も「青猫ロボット」についてだと、このあたりの配慮で五月蝿いらしい。そういうのを笑って見てくれるリベラルな作者だとジョークもやりやすいのだが…。もうお亡くなりになってしまったFFFの神様については、笑って許してくれるか直接たずねようも無い。

私個人の意見としては、「意図しない派生物」は、模倣子が進化する上での必然、だと思っている。私が自分の意思で世に出したものについては、叩かれようが、コケにされようが、仕方なかろう…と思う。とはいえ、それはへっぽこ素人である僕のケースで、僕の信条。他人に強要できるものではない。あんまり叩かれたことが無いから言えるだけかもしれない。

人情的に、オリジナルの「製作者」には差し止め権利くらいは、残してもいい気はする。作品はわが子のようなもの、という話はありますから。
自分の娘の運動会の写真でアイコラ作られたら、多分、世のお父さんはキレる

************

ここでちょっと気になる問題は、「コンテンツホルダー」と「製作者」がイコールではない、ということ。つまり、バンダイは、サンライズ+富野監督+安彦先生+…ではないということ。

例えば、私個人の感情面として、

■ 帯人センセが「このネタは不快だから止めて」と言った 
====> 多分素直に謝って止める

■ 集英社が法的権利を盾に訴える 
====>  一応は従うが、なんかムカつく
ということになりそうな気がする。

…僕だけかな? でも多分二次創作なんてする人は、かなりこの見解に同意すると思う。

前者だと、先の「娘の写真」の例になぞらえて考えてしまうし、
後者だと、単にビジネス話でごねられている感じがするから、…かもしれない。

ただ、公平に考えれば、「コンテンツホルダーの企業」は、「種まいて増やした(宣伝して広めた)権兵衛さんである」というのを認めておかなきゃいけないだろう。「種を作った」わけではなかったとしても、一応「手間やコスト」はかけている。だからその分を刈り取る権利は、ある。多分。

************

さて、上のように考えると、パロディ屋さんはどう自己弁護するべきか?

A.利益の阻害 への対応
おそらく、
「デスノコラを見たから、もうデスノート単行本はいらない」
という人はまず居ない。
むしろデスノコラを見た人は、本文と比較してみたくなるだろう。どちらかといえば購買層は増える方向につながる気がする。

私がwebで騒ぎまくったら、少なくとも、私の友人が2人ほどブリーチを読むようになった。そういう意味では、集英社の広告効果に貢献していなくは…無い。

とすると、1の金銭的非難については、比較的歩み寄れそうな気がする。
要は集英社のお金集めの邪魔になっていないですと主張すればいいわけだから。
集英社と利益の奪い合いをするような(グッズ作成とか…)場合は別だろうけど。

B.キャラクタコントロールへの対応
これについては、もし明示的な不利益が出ているのであれば謝罪するしかない、と感じる。
だが、「社会的にはパロディも含めて作品世界が存在している」と考えるならば、金銭的な不利益はあまり出ないだろう。
実際、同人市場からの人気ブレイクを狙った作品などもある。例えば、テ●スの王子様とか、テニ●の王子様とか、テニス●王子様とか、テニスの●子様とかだ。

ただし、「金銭的には被害が出ない」ということであって、他の被害の可能性がある。

天空の城の同人が流行った挙句に、監督が映画作るのを止めてしまったのでは人類の損失だ。
…まあ、実際危なかったかもしれない、という噂はよく聞く。
同人萌え文化に怒り狂っても、ヒロインが幼女になったり老女になったりするだけで、監督の映画製作が続いてきたのは喜ぶべきであろう。
…そして、ヒロインが幼女になったり老女になってしまったことを悲しむべきか。
いや、ソフィー様の堅物ぶりには私は素直に萌えましたが。

えー脱線。

つまり、
・会社として、飯の種として、文句を言う人と、
・自分の作ったものに対する思い入れで文句を言う人
これらは細かく言うと別の点についてクレームをつけているが、「著作権」という言葉のワクでアバウトに括られているから共闘しているように見えるだけ、という、…まあ言い古された議論だろうけど。
だが「飯の種」のためにクレームをつけている場合には、給料を確保するための戦いなので無制限に主張が増えていくのは当然。そこに「権利」という葵の御紋を安易に当てはめるのは危険な気がしないでもない。

*************

とはいえ、飯の種が無ければ良いモノを作りようも無い。
個人的な意見としては、金銭面では、ある程度明示的に譲って

・ある作品の2次創作で金銭的な利益が出ているのならば、 1次創作の人間は金銭的にピンハネする権利(利益の5%とか?)はある。(ただし個別に取るのではなく全部で5%、とか。)

・「著作者」には、2次著作の内容をできる限り寛容に検閲して、 しかし、どうしても耐えられなければ配布を差し止める、という権利もある

というくらいが落としどころかなあ…という気がしてくる。
その意味では、GAINAXのような自動登録システムをゲシゲシと増やすのが建設的か…。

しかし、それは
「斗貴子さんのエロスはおへそまで」
という協定の世界で、果たしてわれわれが満足できるのかという問題になる。
    orz ソレハツライ…モウチョットタノム

…しかし、明文化されてもパロディ屋の領土は全然増えていない気がするな。
ごちゃごちゃ言わずに済ませるほうが得策ということ…なのか?

************

一度情報のコピーが始まってしまえば、とめる手段はまず無い。
だから怪しきは罰す、近寄らず、ということになってしまっているのだろう。
「べからず」と言われると素直に従うのが大和の国民の風習だ。

だが、おそらく早いうちに
「情報のコピーはコントロールできない」
という事実の下で、世界を再構築する必要が生まれる。
・・・じゃないか?

************

例えば、江戸時代ってのは、商業の発展を武士がコントロールしようとした世界だった。
実際のところ、滝を堰き止めたり戻そうとしたりするようなもの。
崩壊は時間の問題でしかない。
でも武士の理屈から言って、そんなことは認められない。
社会システムは次第にボロボロになっていっていったし、
結局のところ、300年でヨーロッパに大きな差をつけられた。

21世紀ってのは、情報のコピーを商業がコントロールしようとする世界になると思う。
本当のところは、多分、もう後戻りできない。…多分。
しかし、商業の理屈から言って、それは認められないだろう。

「強さとは我儘を通す力」という板垣理論からすると、
「ビジネス」は現代最強のグラップラーだ。
だが、どんな横綱でも、土俵の周りから飛んでくる座布団とは闘えない。
どうしても闘いたいなら、別のルールを用意する必要がある。

100年後までは生きていられないけれど、この異種格闘技の結末が、未来の歴史の教科書になんと書いてあるか…見てみたい気がする。









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こちらでは初めまして。金銀パールです。
今回のblogはかなり胸に響いたのでコメントをお送りしたいと思います。
自分もHPでパロディを描いてますが全て模写とトレースです。
そこで気になるのがトレースの場合はどうなのでしょう?模写と同等の位置づけなのでしょうか?
それとも模写よりは性質の悪い技法でしょうか?
よろしければご意見お聞かせ下さい。

金銀パールさん、コメントありがとうございます。
>トレースの場合はどうなのでしょう?
どうなんでしょう?私もかなり使ってます。パロの下書きは大半トレース。
トレースも模写もコピーだと言われりゃその通りな気はします。ただ、それなりに技術と手間がかかるんで、無制限のコピーはかかりにくい、ということでしょうか。その意味ではトレースはちょっと閾値低いのかな。
そういや、ルーブル美術館とかでも、写真は怒られるけど、絵のスケッチしている美術学生は許可、みたいな雰囲気があった気がします。
昔、経典やら聖書やらをお坊さん方が手書きで写してましたが、なにやらグーテンベルク以前の世界に戻っているような気分ですね。
個人的には「まんがコラージュ」の市民権を回復したい、というのが意図なので、模写ならいいとか、トレースならいいとか、そういう免罪符=部分救済はイマイチ気が乗りません。一蓮托生で市民権を得られたらハッピーかなあ、と。

どうも、ぴです。
なんか起爆剤投入してしまったみたいで。
そもそも「砕蜂の画像が使いたい」という目的で探した上で、
三等兵さまのイラストを発見し、「このイラストを使わせてもらいたい」と思うに至って、
こうして使わせていただきました。
これって英語の「a」「the」の関係みたいなものじゃないでしょうか。
「a」砕蜂は一括して帯人先生に権利があるのでしょう。
一方で「the」砕蜂は特定の人が書いた砕蜂。
つまり今回であれば三等兵さまが描いた砕蜂。
だからこそ自分は三等兵さんに許可をいただこうと思いました。
でもお金が絡んでくれば「the」砕蜂も「a」砕蜂の中の一つなのですから、
帯人先生にピンハネする権利がもちろんある。
一方金銭やイメージ等の損害を加えない範囲で無償で使う分には一応問題は無い。
ただ帯人先生が許さないと実際に何らかの法的手段をとったならば、
それは帯人先生に従うしかない。
法的手段といわないまでも、
帯人先生が「不快だからやめて」と言ったら素直に謝って使用をやめる。
a「砕蜂」である以上それが仕方のないことだと思います。
うーん、最終的に何が言いたいのかよくわかりませんね。
すみません。
ただ、そもそも自分は使わせていただいてる身ですし、
ダメといわれれば諦めるしかない、と思っていました。
AAという手段も密かに頭をよぎっていましたがw
著作権の問題はネットという新たな文明の発達によって、
これからより難しい問題になっていくんじゃないでしょうか。
ただ自分は帯人先生大好きですw

10年ほど前に実際に学祭で一悶着ありました。そのとき色々調べたり助言を受けたりしたこと。
・黙認はしていない。黙視しているだけで、認めているわけではない。出版社や編集部によっては黙っていれば黙視しているけど、許可を求められれば断ると言うところもある。
・許可を求めるシステムにすると数が多すぎてDoS攻撃なので現実的ではない。(チェックなんざしてられない)
・人の土俵で遊ぶのだから、パロディやるなら小額訴訟の覚悟ぐらいはしておくように。
実際のところは本当にケースバイケースかと。どこからは嫌なのかなんて、一概には言えないし。
ただコンテンツホルダーが寛容であるためには「潤っている」のが必要条件だと思う。それこそこの先流通システムの変化でさらに儲からなくなっていったあたりで、「そろそろ権利訴訟ビジネスでも始めようか」と思うところがあったりすると、大変。
なので市民権を得ようとするなら
・掲載誌は買う
・単行本はもちろん買う
・作者にパテントの入りそうなグッズもなるべく買う
・コピーなど不利益になりそうな行為はやめさせる
・古本屋には売らない
・漫画喫茶とかいかない
・廃棄は確実に。不当にリサイクルされないようにする。
等等。てきとーに書いてますが、企業の環境保全運動みたいなものか。正当な消費者ですよという姿勢のアピールを広めた方がいい気がします。
作者、出版社側からみた場合の思考トレースとかしてみると面白いかも。
てか、荷物を整理してたら連載前の読みきりが出てきました。なつかし〜

>ぴさん
前から気になっていたことをこの際に言った、ということで
気を使わせてしまったらむしろ申し訳ありません。orz
 
…そうなんですよねえ。aとtheの区別は近いかも。
theでの引用を繰り返す度に文脈の中での語の意味は変化してしまい、元の語の用法と離れて行ったりもする。
「the」が指し示すものが「現実」に存在してれば、文脈と関係なく指すものがあるので、話は楽
しかし、キャラクタというのは「シンボルの運用」としか
存在できないバーチャルな存在。だから「文脈」がすごい重要になる。何がオフィシャルで何はオフィシャルでないか。(例えば、プラモ狂四郎のパーフェクトガンダムは、いつの間にかオフィシャルになっていた。旧ザクでのジェットストリームアタックもまた。)
 
…多分、一番厄介な問題は
「オリジナルとそれから派生したものの著作権の分離などは不可能」
という点なんでしょう。本当は。
クラシック音楽で言うと
「ブラームス;ハイドンの主題による変奏曲」の著作権は?とか
「グールドの演奏するバッハ」の著作権は?とか
「ケロロ軍曹がグラップラー刃牙のパロディやったとき」
のパロディをやったときの著作権は?とか (…クラシックじゃねえ!)
 
モーツァルトの神話は、モーツァルトを頭の中で鳴らしている
すべての受け手の人間が構築している。もはや死せる音楽家の
手から離れて…というところでしょうか。
 
 
>新瀬さん
おひさしぶりしてます。
まあ確かにチェックシステムは現実的じゃないですかねえ。
現状の「著作権」という権利がルールにある以上、パロディが
ルール違反(またはすれすれ)であることは事実。
 
ただ、ほかの「権利」同様、著作権も社会的に生み出された
約束事=バーチャルな存在ですから、
「より現実的に運用できる著作権」が社会的に構築可能なら
それもまた選択肢に数えるべきか、と思います。
問題は、上手いものが思いつかないことでして。
 
まあせいぜい、パロディの最後に「買いましょう」
コメントつけるくらいしてたんですが、
なんかどうもうざったい。
 
 
市民権を得るお約束の中にある
 
>・廃棄は確実に。不当にリサイクルされないようにする。
 
ですが、リサイクル市場は私も基本反対です…が、古本屋よく行くな。orz
「モノを作るコスト」と「情報のコスト」ってあるじゃないですか。
前者は省けるし省いたほうがエコロジーだと思うのだけど、
現在のシステムだと後者まで無視されてしまう。それは不味い。
 
いやそれと、「廃棄」ってのが難しい。
私、本を捨てるのが下手なんです。忍びなくて。
そうすると、部屋の大きさから蔵書の量の限界は決まってしまう。
そうすると、無制限な消費は不可能。
そうすると、コンテンツホルダーが潤沢にならない。
マンガ喫茶からお金だけ送るシステムとかあれば多分活用するんですが…
多分難しそう。性悪説で考えると、ただ乗りの可能性がある場合には
ただ乗りされてしまうんでしょうね。
 
でもさ、ものとしての本の製造コストは500円かもしれないけど
「この本の価値は500円ごときではない!」って本とか
あるじゃないですか。ごくまれに。
僕で言えば「アグネス仮面」とか…
そんなときにはどうするべきなのか。
最近流行のオトナ買いで三十冊買うのか。
買って捨てる。…なんかそれも orz
 
そんなこんな意味で、「むしろ金だけ払うシステムが欲しい」という
古本屋や漫画喫茶で読んだ本がいい本だったりしたときのために。
そんなことを言い出すのはボクだけなのかなあ…。
作者に差し入れでも送ればすむということなのでしょうか?

>問題は、上手いものが思いつかないことでして。
難しいところですね。なので「戦場でこれを破ると帰って来れない」みたいな暗黙の戦士のルールを共有する方が現実的かと思っています。明文化しても2次創作が幸せな権利を得られる方向には向かわないと思うので。
>そうすると、部屋の大きさから蔵書の量の限界は決まってしまう。
出版社から見たらマンガ喫茶で読まれるより、買って読んで捨ててくれる方が良いでしょう多分。30刷買って捨てるのもOkでしょ。送金システムはあれば確かに資源と収納限界にはやさしいですが、本質的には良いと思ったら新本を買えば同じことでしょう。
「廃棄」が難しいと言うのは消費者の感情面での話なので、ちょっと切り離す方がいいかな。出版社から見たら、「別の出版社の要らない本を廃棄して買え」と思うかもしれない。いや単に「読みたいなら買え」かな。
なんでこんな話になるかと言うと、パロディ作者の訴えられ係数が一般消費者より高いので立場を弱くして考えているから。パロディ作者は一般消費者より上客である、と言うことにすれば一つの安全策にはなるかなあと言うところで。だからちょっと消費者としての事情が一般より無視されてます。
あー、ここまで書いてわかったのが、三等兵さんの主眼が「パロディ作家にやさしい世界の構築」に読めたのでちょっと引っかかったのだ。それは多分「権利者にとって有益なパロディ作家の存在のあり方」を追求しなければ得られないものなんじゃないかと。

 
>新瀬さん
コメント感謝!
 
>「戦場でこれを破ると帰って来れない」みたいな暗黙の戦士のルールを共有する
なるへそ。…確かに
「パロディ作家にやさしい世界の構築」
「権利者にとって有益なパロディ作家の存在のあり方」
というあたりのテーマが、私の論点でごっちゃになっていた気がします。
 
「コンテンツホルダを仮想敵にして訴訟の理論武装」よりも
「コンテンツホルダと共同戦線を組むための和平調停案」が発言の趣旨。そういう意味では現実的というより理想論的です。
 
私はコンテンツホルダーの視点から世界を見た場合には
・「パロディを書く」人間は絶対数として「パロディを読む」人間よりはるかに少ない
・コンテンツホルダーにとっては「多数の人間からお金を徴収する」のが効率的
・したがって「書く人間が良い消費者である」ということは、あまり重要視されない
で、あるだろうと睨んでいるわけです。
 
つまり「Winnyにデータ流した人間が、DVD買っていようが買っていまいが」、金額的には誤差の範囲内であって、それより「それを無料で見る層」(つまり受容側)の大きさによって、利益が変動する。
コンテンツホルダーの仮想パトロンはあくまで
発信側より受容側≒一般消費者であろうと。
 
この視点からすると、
「僕はちゃんと買ってますよ」(これも重要です!)と同時に
「僕の書いたものを読んでくれる人は、あなたの原本も買ってくれます」が
望ましいWin-Winのエクスキューズ…ですよね。
視聴者人数相当の大人買いするのは、お財布に無理がかかりますから。
 
そういう意味では
・有料パロディの発展から、(視聴人数に比例した)ピンハネする方法
・無料パロディの発展が、コンテンツホルダとWin-Winになる方法
があるならば、コンテンツホルダーには何の異存もないだろうと。
それが、パロディ作者にとって幸福かといわれると微妙なんですが、「存在が黙認される」よりは「発展が奨励される」方が心理的にはやりやすいし、利便も図ってもらえる気はする。
 
前者の例を平和的に実現するなら、せめて登録システム…みたいな物が要る。
後者の例は、結構自動的に発生するのではないか、と。
 
私もファンなのですが、LOGIC&MATRIXさんの「30冊の大人買い」は
「大人買いをするというネタ」
であって、その広告効果は30冊どころではない。
「一般消費者としての私」も、あれを見て、武装錬金買いましたよ…。
 
そのへんが認められれば「オフィシャルなデスノコラ」という可能性も広がる。
まあ、現に雑誌後ろの読者投稿コーナー等に既に無くもないですけど…。そういえば「鋼の錬金」などではオフィシャルファンブック出してましたね。そいつをオープンに規制緩和できたら、市場も拡大するかもよ、と。
 
…まあ、実際のところ、日本人は拡大解釈して実質ルール踏み倒しする方が、波立たないので好きなんですけどね、解釈改憲とか。
---
 
あと、またしても私の論点がごっちゃになってましたが、
「アグネス仮面に2000円を払うオプションが」という私の物言いの背景に、
社会システム基盤としての「モノの流通」を「情報の流通」に変更する、というのが21世紀中の方針転換として必要とされるだろう、
―という考えがあります。
エコロジーとしての必要性と、出版・配布システムの効率化の必要性として。
 
現状の「所有権」はどうしても「モノ」ベースに作られてますから。
モノの所有権には、モノの委譲権利が含まれているので、この範囲では、BOOK-OFFを否定する倫理規定と社会システムは構築しにくい。
「一人の人間が視聴する権利」が「モノ」と別枠で販売されているのであれば、BOOK-OFFは、「モノとしてのメディア」のみを扱い、その対抗馬はnyであってもいい。
 
つまり、
 
[システム1]
コンテンツホルダ vs 海賊版+BOOK-OFF+Winny
 
よりも、
 
[システム2]
コンテンツホルダ vs 海賊版
BOOK-OFF vs Winny
 
の方がコンテンツホルダーにはハッピーでしょうと。
Winnyの作者が主張しようとしてたのも基本的にはシステム2だと思う。
システム1だと、パロディの人もミソクソ的に右側の項に放り込まれる可能性がある。
システム2をとる場合にも、「パロディは海賊版にあらず」の主張が必要になる。そして、「コンテンツホルダの権利はどこまで?」という問題が生まれる。
 
---
 
それに…、作り手としての新瀬さんだったら、
「翼姫の本は他人に読ませるくらいだったら捨ててくれ」
と思います?
僕は思わない。
10冊買って目の前で9冊燃やされてもショックだ。
赤字してまで出しているんだし「モノ」は一秒でも長く残ったほうが嬉しい。
モノが残れば、模倣子の伝播の可能性も残る。
 
その意味では「作る立場」と「売る立場」はある程度矛盾する。
TITE先生としてはきっと、連載前から応援してて読みきりを保存している新瀬さんのような読者の存在は涙が出るほど嬉しいと思う。
集英社は、潜在購買者として喜ぶのであって、持っていると「初期作品集」を購入する可能性が減るという点で、捨ててもらったほうが嬉しい。…という面もある。
(編集者個人の感傷と、営利企業の戦略を分けて考えるなら、ですけどね)
 
その意味で、この「分離」の主張には
「モノの流通」と「情報の流通」を分離しないと、
「プロダクション会社は永遠に幸せになれない」という私の予測も影響してます。
(感傷面でも、商業面でも、です)
職人が商人に対して対等になるには、まずシステムの再構築から…というわけです。
 
利益がモノに比例している間は、しょせん「コンテンツ産業」は産業の一分野。
「モノ」から「価値」が独立したときには、コンテンツは「産業すら飲み込む」真の姿に化ける可能性があるだろうと思っています。
…うまく行けばね。ある面、賭けですけど。

>実質ルール踏み倒しする方が、波立たないので好きなんですけどね、解釈改憲とか。
多分私もそっちの方が良いと思ってる。蛇が出るんじゃないかと思っているので。
まず現状が「灰色で」という世界なのは確か。ただそんなに窮屈で不幸せだろうかというと、そうでもない気がする。むしろ行き過ぎているくらいフリーな気までしている。
書く人の絶対数の話はそのとおりだと思うし、現状でもプラスの部分を見て放置しているんだと思う。しかし「白か黒か」をはっきりさせようと言うならば白も黒もあるだろう。つまり黒になってしまう部分はおそらくどうしても出る。そのボーダーは今居る領土よりせまいだろうと予想される。閾値50%で二値化したら元のグレー画像より、クロ100%の領域は広くなる。
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>僕は思わない。
僕も思わない。これ対象が「出版社」になっているでしょ。意図しているところは三等兵さんが後述してることそのまんま。追記するなら限定本の場合は状況が違い、捨ててもいいのはモデル化するなら重版されている間だけ。例えば5年間は流通に必ずあるなら、保持するのは5年後でもいい。その間に5回買ってくれたらいいお客さんでしょ。
あと私の場合で言うならば、まずそれで食べてない。他の仕事で食べているから作ったものには思い入れしかない。感情的なものだけ。だから1冊買って大事にしてくれるほうがうれしい。経済的には赤でもかまわない。
だけど、それで食べているならばどうか。10冊買ってくれるほうが良い面はないだろうか。目の前で燃やされたらそりゃ単なる嫌がらせだけど、そもそもこの話の前提が「好きなので10冊買う」だから除外される話だと思うけど。
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>「モノの流通」と「情報の流通」
「情報の流通」に関しての現状は絶望的と見ていたりする。というのは、習慣的に「情報はタダ」と思っている人が多いのではないかと。テレビ放送はタダ、ニュース読むのもタダ。ソフトだってネットで揃えればタダ。ていう感覚が蔓延している気がする。
例えば三等兵さんの描いた絵を無料で見られる。でも実はコスト的には無料じゃない。制作費も維持費もかかっている。でもそれは三等兵さんが持ち出しでやっているから消費者にとっては無料になる。持ち出しで出来るのは飯の種を別に持っているから。とすると、他に飯の種を持っていない場合は?ということになる。
例えば掲示板を作りたい。検索したら出てきたが有料だった。もう少しがんばって探したら無料の掲示板システムを見つけた。ということの類似経験は無いだろうか。
例えば1000円の電子書籍を買うのには躊躇するが、同じものの出版物は買うのに抵抗は無い、という感覚的なものは無いだろうか。
つまり現状では「情報」は「モノ」に定着させないと売れない。雑誌や単行本にフィギアをつけたりするのは典型だと思うけど。つまり「情報」のタダ見が蔓延且つタダ保存まで出来るようになっちゃったので、付加価値をつけなきゃいけなくなっている。
なので三等兵さんの理想で食えるモデルのためには消費者意識の変革まで必要になってくる・・・んだけどそうすると、Webコミックや絵を無料配信しているのはタダ意識の蔓延に加担していることにならないかという悩みまで出てきそうだ。
この話は権利云々と別なんであえて止めてたんだ実は。このネタだけでも延々長くなるだろうし。
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ただ「情報の流通」の分離は流れ的には確かだし、もう始まっている。ただしそれはおそらく三等兵さんの理想からは遠い、なしくずしのグダグダで起こっていると思う。それが問題かな。コンテンツホルダーが「情報の流通」「情報の価格」をハンドリングできないまま流通だけ始まっちゃった上にタダ至上主義が蔓延しているのであちこちバタバタ倒れている。全ての元凶というわけでもないだろうけど。
で、この過渡期が問題。ある程度整理されて再構築された後世は幸せかもしれないが、リアルタイムに巻き込まれた場合、不幸になる。一時的に商業主導のコンテンツ管理が厳しくなる。フリーだった部分がフリーじゃなくなることは容易に起こり得るし、CCCDとかで実際に起こった。「モノの流通」側が食いつなぐことに必死になるから仕方が無い。「デスノコラ」は当分出来ません。多分30年くらい。という時代に居たいですか?ってことかな。
うーん、書いていて嫌になるほどの棚上げ論理。しかも論旨が複数あるのを複合するのに頭がついていかずにまとまってない。2次創作者が1次創作者の手をとって「一緒にやろうぜ!」とか言うと、はたかれる気がする。逆は良い。「一緒にやらないか」と手をとってくれるようになるためにはどうすればよいか。あ、振り出しに戻った。
余談ですが「ですの〜っ」「こらっ!」という意味の無いフレーズが頭について離れません。

なるほどねえ…。つまるところ、
「1次」「2次」の差と言うよりは
「プロ」「アマ」の差というところでしょうか。
新瀬さんはそちら方面の会社にいるわけだし、
色々台所事情を知っているから、私のように無責任な
意見を言ってるわけにもいかんのでしょうねえ…。
「今日を生き抜く知恵」と
「明日見るための夢の話」は、
両方必要ですので、私は後者、新瀬さんは前者をベースに会話してるということなんでしょう。
ただ、いずれにせよ
>「モノと情報の価値分離」
>「情報の流通」に関しての現状は絶望的と見ていたりする。
っていうのが、「夢物語でもいいとすれば」賛成してもらえるんじゃないかなーという気はしている。
問題を
「消費者の財布の何パーセントが娯楽費になるか」
「そのうち何パーセントが流通、何パーセントが製作」
という話と割り切れば、流通と製作がゼロサムゲームしてるという側面はあるわけだし。
>つまり現状では「情報」は「モノ」に定着させないと売れない。
というのは、まさしくその通り。
>Webコミックや絵を無料配信しているのはタダ意識の蔓延に加担
というのも、ほぼその通り。
なので、それを細部修正する方法をコンテンツホルダーから提供してもらうというのはどうだろう、と思うわけです。
千里の道も一歩で、まず、無料登録制を始めてみる、と。我々webの落書き人種も納得するくらいの条件でね。
まあ、意識が変わるには10〜20年はかかるだろうと踏んでるんですが、正直、労働ってのが自動化されて、その一方で資源が減少する現状では、こういう情報のみの産業を「労働」として再定義しないと、社会システム自体がもたない、と思う。
まあ、歴史を見ると、娯楽が仕事として「きちんと」評価された例はない気もするんだけどね。

>「ですの〜っ」「こらっ!」
なんて事言うんだ!僕の脳にもそのフレーズが焼きついてしまったじゃないか!

実際にやってみたら大変そうだなあ、てとこです。より多くの人が幸せになれないと変革の意味が無い。でも登録システムって手間だし、制約もかかるわけで。双方にメリットが無いと難しい。そういう意味で一点だけ引っかかっていた事が、
・コンテンツホルダーに何かをしてもらうにはメリットが無きゃ駄目だろう
ってことです。宣伝効果などの潜在的なものはあるとしても、放置している現状でその効果はあるわけで、わざわざコストをかけて何かするメリットが無い。もしくはデメリットの方が多いのではないかな。
「2次創作の登録制によって得られる利益と流通の将来に関する提案」という企画書を通さなきゃいけない感じか。・・・。
>こういう情報のみの産業を「労働」として再定義しないと
これは全く同じ意見。いつまでもモノを作り続けるのは無理だし。ただ情報のみの産業で食べていけるビジョンが見えるかってのがまた別で。最終的には落ち着くんだろうけど、その予想が悲観的なんだろーな僕は。

>・コンテンツホルダーに何かをしてもらうにはメリットが無きゃ駄目だろう
賛成。
ていうか、本来は、その環境を作るように指導補佐するのはお国の仕事かもね。公共事業ですよ、多分。
ナントカ省なりカントカ大学なりの非営利組織に煽り立ててもらうのがアプローチとしては正解かもねえ。まじめに取ってくれなさそうだけどさ。
以前、わたしの職場でも、大学の先生とコンテンツ関係の研究プロジェクトを提案してみたこととかあったんですが、順当にコンペで落ちました。…まあ、ウチの会社では受けても税金を無駄に使うだけかもしれないから、落ちてよかったかもね。
…まあなんかこう、諦めずに搦め手をを探すかねー、と。
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