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ドラえもんのソリューション

「ドラえもん」というマンガは母性的だ。
・・・というようなことを今日会社でふと思った。
こんなことを仕事中にふと思う会社員もどうかとは思うが。
会社でドラえもんというあだ名の方が、別部署に移ることになったので、どら焼きを買ったりして送別会のネタ作りをしていたのです。
まあ、それはさておき。
ドラえもんの母性ソリューションについてですが、

たとえば、オバケのQ太郎は、ポジション的には「悪友」または「できの悪い弟」の役となっている。問題を起こすのはいつもQ太郎で、正ちゃんは一緒になって悪ふざけするか、Q太郎をたしなめるか、どちらかだ。言ってみれば、ホームズとワトスン。そこにあるのは友情であって依存関係ではない。
この後、藤子F不二雄と藤子不二雄Aの間で枝分かれが起こる。

藤子不二雄Aの少年向け代表作品は、怪物君・ハットリ君・ずいぶん離れてウルトラBなど。いずれにせよ、「主役」と「語り部」の関係になる。その間にもちろん友情関係はあるのだけれど、あくまで世界は「主役」(たとえばハットリ君)を中心に回る。「語り部」(たとえばケンイチ君)は凡人で、それに振り回されたり、それを楽しんだりする。あくまで、読者の代表として、世界=主役の活躍を観察する存在となっている。これのもっともわかり易い注釈が「マンガ道」かもしれない。満賀道雄は、ひたすらに周囲を見つめ続ける。人間ドラマは主役のはずの彼に直撃しないで、寸止めのように周りを通り過ぎる。満賀道雄は周囲の人間を尊敬し、見守る傾向がある。一方で人間ドラマが直撃するケースとしては、笑うセールスマンがある。この場合、人間ドラマが直撃する対象は、いってみれば使い捨てにされる。喪黒氏は、ホッホッホと笑って帰っていってしまうばかりだ。藤子不二雄Aの「観察者」的なスタンスがでているというか。・・・まあ、このあたりは私自身も観察者タイプの人間なので、人のことをとやかく言うと自分に帰ってきてしまう。それに、プロゴルファー猿のように、「俺主人公」なバトル形式の話もちゃんんとあるしね。

あ、本題を外れてしまった。
さて、藤子F不二雄での代表作は、パーマン・ドラえもん、など。こちらでは、世界は直接「語り部=主役」に作用する。つまり、問題は、直接に主人公=のび太君の上にふってくる。それは、けしてQちゃんのおやつの問題でも、ハットリクンのライバルの問題でもない。ある意味では、のび太君自身が「世界」を「問題」のカタマリに変えてしまう存在だ。
物語としてのドラえもんの主人公は、あくまでのび太であって、ドラえもんではない。

では、ドラえもんは何をするかというと、「ソリューション」を提供する。「モノ」という形で。
のび太はそれを「取扱説明書どおり」に使用することが望まれている。まあ、たいていの場合、取説を超えた使い方をして、痛い目にあってしまうのだが。見ている観客は、取説を守れないのび太くんを笑いながら共感し、「もし自分があのモノをもっていたら」と夢想して幸せになる。これがドラえもんの基本構成だ。
ある意味、「ソリューション」の存在は、「世界」をただの「問題」に変えてしまう。

なんでこんなことを書くかというと、送別会のネタ準備に購入した、ドラえもん第6巻「さようならドラえもん」を昨晩読み返して、あらためて気がついたからだ。

いわずと知れた名作「さようならドラえもん」では、唐突にドラえもんの帰宅が宣言される。
つまり、のび太くんは「ソリューション」を失ってしまう。

はじめのび太は、パニックを起こす。ドラえもんも困っている。(3ページ目上部)
しかし家族にたしなめられ、ドラえもんは宣告通り送り出される。ささやかな宴席で両親と当たり障りのない会話を行うドラえもんの隣で、のび太は、何も話さない。ただドラえもんを上目遣いに見つめる(3ページ中段)。あらためて見直すと、この時ののび太の表情は、ものすごく微妙なのび太の立場と心情を見事に描いている。このあたりこの時期の藤子不二夫の、地味でありながら天才的な画力が生きている。
その後、夜がやってきて、ひとつの布団にはいったのび太とドラえもんは、眠れないよるを語り明かそうとする。このくだりは、オバケのQ太郎のエンディングと同じだ。つまりこれが、少年期の「友人」との決別を藤子不二雄スタイルで描く基本流儀なわけだ。
そして、4ページ目、誰もが忘れられないのび太とドラえもんの会話は、わずか1ページで描かれる。
・・・
「できることなら・・・、帰りたくないんだ。きみのことが、心配で心配で・・・。」
・・・
「ばかにすんな!ひとりでちゃんとやれるよ。やくそくする!」
この1ページ、のび太はものすごく平静な顔をしている。「だいじょうぶかい?」というドラえもんの問いかけに、「なにが?」と答える。この無表情にも見えるのび太の表情に、さまざまな感情を埋め込んでいるのは、多分私たち読者なのだろう。
本当にあっさりした、ドラえもんとのび太の会話を読んで、ドラえもんが泣き出した(5ページ1コマ目)ことに、読者は何の不思議も抱かないだろう。通常のマンガが「泣かせよう」と技巧をこらして読者が空回りしてしまうことに比べると、この淡々とした描写は神業のような効果をかもし出している。
そして、のび太がドラえもん抜きでジャイアン相手に喧嘩をする。

ドラえもんは「ソリューション」ではなくなる。

ドラえもんを、自分を守る乳母の立場から、一対一で話し合う友人の立場に向き合ってもらうために、のび太は圧倒的にボロボロになって、それでも勝利を宣言する。

かったよ、ぼく。

みたろ、ドラえもん。
かったんだよ。
ぼくひとりで。
もう安心して帰れるだろ、ドラえもん。

朝が来て、ドラえもんは帰り、のび太は起き、淡々と歯を磨き、日常を取り戻す。
主人公は、秘密道具のない生活を、当然のように受け止める。このあたりは後年の「キテレツ大百科」の終わりかたと一緒だ。だが、決定的に違うのは、そこにはのび太からドラえもんへの独白がある。
ドラえもん、きみが帰ったら
へやががらんとしちゃったよ。
でも・・・すぐになれると思う。
だから・・・、心配するなよドラえもん。

ドラえもんが、ソリューションでなくなったときに、初めてドラえもんが友人になる。最後のコマ、のび太しかいない部屋と半開きっぱなしの引き出しに、初めて等身大で友人になったのび太とドラえもんの姿を見て、少なくとも僕は昔、泣いた。

そしてしかし、ドラえもんは帰ってくる。打ち切りの中止。人気アンケート。大人の事情はあるだろう。いずれにせよ、ドラえもんは帰ってくる。「もう帰ってこないドラえもん」の存在を「嘘八百」にすることによって。
のび太君の周りには、また「ソリューション」があふれかえる。私たちは、そののび太君を羨み、ドラえもんがそばにいる生活を夢見る。けれど、あのジャイアンに無謀にも立ち向かったのび太君は2度と再び現れないのだろう。
ドラえもんという乳母=母性からの脱却を、拒否してしまったのだから。
これがきっと日本人の決断なのだろう。かくして我々はドラえもんという母性に囲まれ、しずかちゃんを遠巻きに眺め続けるのか。
なんかこの問題は、・・・エヴァンゲリオンに続く、とかなりそうだなあ。
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