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生産性が嫌いなブログ

なんというか、最近ブログが書けない。
なぜ最近の僕が文章を書けないかについて、20分ほどうだうだ考えて書いてみる。



まあ、もちろん時間がないというのが一番大きいんですが、どうも質的な問題もありそうだ。
目にするブログというのが、数年間でずいぶん様変わりしてしまった。

昔のブログというのは「ひねくれたことを言うオタクたち」がうだうだと長い文章を並べるところだった。
・・・と思う。

最近のブログ流行はどうも「役に立ちそうな内容を手短にまとめたメモ書き集」になってしまっているようだ。
Life Hackとか、仕事に役立つとか、料理に役立つとか、そんな情報をまとめているもの。一番典型的な奴は、薄めのビジネス本(新書)に書かれている目次内容を、さらに箇条書きにしたもの。

うん。そういうの、役に立つよね、と思う。
いや、役に立たないかもしれないけど、ついつい読みやすい。
僕もふらふらとネットサーフィンをすると、そういう類に引っかかりやすい。
ひょっとして役に立ったら、捨てておくのもったいないとおもってしまう。

別に、そんな文章を書かなきゃいけないと決まっている訳ではないのだけれど、どうもそういう文書が増えてきて、やりにくくなった気がする。

僕の考えと文章は、基本的に戯れ言。
何の役にも立たないし、目的も結論もない。
もともと、そういうものだった。
たまたま役に立つことがあるかもしれないけれど、それはたまたま。

そういうものだったのだ。



多分、科学というのも、もともとそう言うものだった。
役に立つために存在するのではなく、なんとなく気になることをウダウダという議論。
だからこそ、もともと「哲学」に分類されていたのだ。

湯川秀樹と梅棹忠夫の討論集の言葉を使うと

まあいうたら、学問は人類の勲章みたいなものですな。
ぶらさげてみても、いわゆる実用的な意味は何もあらへん。ただの飾りですわ。
勲章で栓抜き兼用の勲章なんかあらへん。これでビールの栓が抜けます、というような勲章は、あかんのです。
(「人間にとって科学とは何か」p.369)





しかし、いまでは科学という奴も、すっかり栓抜きになった。
嫌な言葉だが「生産性」という奴だ。

何かの役に立たなきゃいけない、という空気。研究でも、そういうのを問われる。結局何の役に立って、いくらになるのか。そんな作文がついていないと、レポートとして成立しない。

とはいえ、世の中の「生産性」というのは、大半は作文であって、本当に役に立つわけでもない。
先のまとまったメモ集などもそう。冷静に考えれば、どこかで使いそうだと期待して、Evernoteあたりにリンクをブックマークするものの、それきり忘れて永遠に使わない種類の情報だ。

ところが、本当には役に立たないことが分かっていたとしても、無視しにくい。これが、ポイントだろう。

まわりが生産性生産性とお経を唱えている中では、せめて「役に立っている振りをしないと、話に乗れない気がしてしまう。そこで、どんな人も「私はこんなに役に立っている」のような蛇足作文を継ぎ足すことが要求されるようになる。その蛇足作文をまとめて引用し、リンクが張られた作文を書く人が現れて人気を博す。



そうすると、しだいに作文のための作文が生まれる。

この結果生まれるのが「官僚主義」というシステムだ。残念なことだが、「現代的なビジネス」の8割くらいは、この官僚作文の周りをうろうろとして、引用作文とパワーポイントを作り続ける作業だろう。

だから、研究者に「お金になりそうな作文」をかかせると、ひどいことになる。

計算機屋の用語で言うならば、ポインター変数だけが山のように増え、インスタンスがない、という奴になりやすい。バズワードを追いかけていくと、実体までたどり着けずにうろうろ回ることになる。
まあ、なんのバズワードがどうとか、そういう野暮なことは言いませんよ。自分の首が絞まるし。



ええと、何の話だっけ?
まあ、要するにあれか。
「役に立つ思索」が嫌いなのに、役に立つフリをさせられているせいで、なんだか頭が鈍ってきた、と。
まあ、そんなところなのかなあ。

今回、一つ学んだ。
不平不満を並べると、文章は早く進むようだ。まとまりも生産性も無いけどな。 orz
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ADHD闘病記

♪ウ○トラの父がいる、ウ○トラの母がいる


僕は、自分よりそそっかしい人間に会ったことがない。

まあ確かに、世の中にはそそっかしい人間はいっぱいいるし、目を見張るような失敗を目の当たりにすることもある。PCを置き忘れて会社の事故になりかけるとか、車の運転を誤って人を轢きかけるとか、僕の周りのいろいろな人が、個性的で強烈な失敗をしている。

だが、「こいつは俺よりもそそっかしい!」と確信させるような強者は、ほとんど居ない。
あえて僕のライバルを捜すとすれば、僕の家族だけだろう。

たとえば、僕の父。駐車場の両側に黒光りする大型ベンツとトヨタの軽自動車があったとする。その状態でベンツの方に自分の安物車を擦りつけるという恐れ知らずの実力は、なかなかあなどれない。さまざまなアクシデントの末、マンションの駐車場をたらい回しにされるというのは、相当なものだ。

だが、そんな僕の父も、僕の母に比べると安心で安定した人間に見えてくる。1ダースのガラスのグラスを購入しても、2ヶ月後には半分くらいになっている。その高度なレベルで安定したそそっかしさには定評がある。


♪そしてタ○ウがここにいる


僕は、そんな両親から生まれたいわばサラブレッドであるといえる。両親のそそっかしさを受け継いで、それを高度に昇華している。
自慢ではないが、私のそそっかしさは自他ともに認める実力であり、親しい友人を震撼させ、長年の上司を怯えさせている。まだ公式戦には出たことがないが、世界レベルで戦える超高校級の逸材であることは間違いない。

たとえば子供の頃、食事の最中に、目を離した隙にお茶碗に入ったご飯をなくしたことがある。友人に話したところ、目を見張って「意味が分からない」とつぶやいていた。もはやマジックの領域と言えよう。

たとえば大人になってからも、海外の空港で飛行機の乗り換え時に、何気なくパスポートをポケットから落として30メートル歩いて不意に気がつくという、高度なレベルの技を惜しげもなく披露している。

いまでは妻が、僕が日々繰り出すさまざまな消失トリックを目の当たりにしている。
タネも仕掛けもなく、目を離した一瞬で物体を消すマジックの美技に、疲れたような悲鳴を上げることもしばしばである。


♪なにかが地球におきるとき


さて、このような消失トリックの天才スターが、凡庸な世の中を生きていこうとすると、なかなか厳しいものがある。

歳とともに、仕事や、管理する情報が増えてしまい、各地への移動が多くなってきた。こうなると、僕の物体消滅能力の持つ潜在的な効果が発揮され、その惨禍は凄まじいものになっていく。

この自分のありあまる才能に疲れ果てた挙げ句、ここ数年、スランプに陥っていた。

対策として備忘録の手帳やノートを作っても3日で消滅してしまうのだ。

なんかもう、おれダメや、社会人として生きてられん、とかの呪文を呟いてゾンビのようになっていたこともある。
なんか、一時期のあいだ打ちのめされて以降、言葉が思い出せずに話に詰まることが多くなってしまった。歳の効果か、あるいは気落ちした反動か。


♪タ○ウが戦う


しかしまあ、おはずかしながら伴侶を手に入れ。
社会人博士の修行シーズンも終わり。
これからの人生を「社会人」として堅実に生きていく方法を、まじめに考えなければならない。

3月頃からノートを買い込んで、ADHD闘病記というのをつけ始めた。
僕としては驚くべきことだが、3ヶ月の間ノートをなくすこともなく、ちまちまと運命への戦いを続けている。
これはまあ、嫁に感謝すべきところだろう。

4月頃から、長らく止まっていた異邦人たちも、久々に続きを書いた。
ブランクが開いたら、自分のイメージを巧く書けなくなっているのにはびっくりしたが。

5月のGW後半には、仕事も何も考えない休みを取ったりした。
そんなこんなで、ぼちぼち頭の回転も回復を見せはじめている、と言った状態。
やっぱり僕みたいな人間に取っては、無理せず休むのは大事だなあ。

まあ、そんなこんな。

Web社会への復帰リハビリも、ぼちぼち始めるのかなあ。
これまでの人生で、自分の病状をネタとして書くという行為が、大事な治療の儀式であったりした。
無理しない範囲で、少しずつ、回るようにしないとなあ。

再起動

今週末の記録。月曜日に久々の年休
ビデオやWebでBGVみながら、マンガ描きの作業
・キャプテンアメリカ
・Xメンファーストジェネレーション
 無難な内容。だが、嫁さんに「顔がわくわくしている」と言われた。
 僕はやはりこういうのが好きなんだなあ。 

・マル激:本多雅人氏(真宗大谷派蓮光寺住職)
 マル激で久々の当たりだと感じたお話。
 数年間いろいろ背伸びをしすぎた。「僕」自身を再構築する必要がある。

・岡田斗司夫のひとり夜話「ノート術」
 これを見て、日記再起動しなきゃと思う。とりあえず記述を始める。

作業:
3Tohei's Web Logの引っ越し中。

初夢

あけましておめでとうございます
・・・って、もう5日。
当然のように今日締め切りの話があって、睡眠不足な正月でした。イエ〜。

今年の初夢は、東京の地下鉄駅をおりて、古本屋に行って面白い古本がないか探す夢でした。
束になったSFの文庫本手に取って、最近SF読んでねえなあ、とつぶやいていたら目が覚めた。
リアルなんだか、なんなんだかわからねえ。
「すぐに実現しそうな初夢やね」と嫁さんに言われた。

ちなみに、二度寝してみた夢は、食堂のテーブルに居たゆきずりのメンツで、かねかけてゲームをする夢だった。5人テーブルに居て、じゃんけんで3vs2の二組に分かれた。
向こうはバッファローマンとブロッケンマンの2人。こっちはキン肉マンとラーメンマンと俺。
「このメンツで、何のゲームをしたら盛り上がるんだ?」
と夢の中で首をひねっていたら、目が覚めました。
リアルなんだか、なんなんだかわからねえ。
こっちの初夢が実現したら面白かったのだが。

・・・というか、俺の脳が考えるリアリティって何なのだろう。自分の脳みそを小一時間問いつめたい正月でした。

残念な人として生きる方法

大学の発表で「残念」という評価をいただいたりした。
単に悪いという訳ではない。着目点はよくアイデアも面白い。うまくやれば一流の研究になるかもしれない可能性は感じるのだけれど、一流の研究として出すには詰めが甘い。

これを一言で言うと、残念。

考えてみれば、僕はよくこの「残念」という評価をもらうことが多い気がする。
会社でもいろいろと「面白そうなプロジェクト」に参加したりしたが、私の関わるプロジェクトは野心的すぎて残念な結果に終わったりもしがち。

書いてきたマンガも、中身を読んでくれた方には「面白い」という評価をいただいたりしたのだが、どうも、そのまあ、売り上げとか読者数とかでは、いろいろと残念な部分も多い。ビジネスという奴は難しい。

日常生活では、とにかく驚くほど「残念」な人間なのですな、これがまた。
忘れ物とか落とし物とかうっかりとか、かなりの高レベルで残念だ。
僕の友人100人に訪ねれば、90人は「残念な人」という意見に同意することだろう。
ただし、100人も僕の友人が見つかるかどうかが不明なのでアンケートはできていない。



ここ数年にわたって「残念でない人」になろうと数年にわたり努力をしてきたのだが、・・・どうにも、その努力自体が残念な感じになっている。

基本的には
・興味本位で頭をいっぱいにする
・目の前の興味に気を取られるとほかのことを忘れる
・だから整理ができない
・過去のデータが整理できていないので、複数の物事がごっちゃになる
という具合で、悪化していく。まさにADHDの典型例。

結局、やることを増やしすぎず、一つづつしっかり整理して終わらせていけばいいという、当たり前の結論になる。なるのだが、それが実現できなかったから、こういうことになるのだよなあ。
結論が当たり前なので、すぐ改善できそうにも見えるが、結論が当たり前なのにこれまで実現できなかった内容というのは、どうにも改善できない。
orz



苦しんだあげく、それは「残念な人のままで生きていく」という方法を、もう一度あらためて検討しようと考えている。

一番有望な案は、残念でない人に「使ってもらう」ということなのだが、使っていくうちに残念さがあらわになってくるので、いろいろ問題が生まれていく。
別の案として、残念でない人を雇ってカバーしてもらうという案があった。このたび嫁さんという協力なサポーターが現れたので、実現可能性を検討している。だが、嫁さんとの情報連携とかで問題がおこってしまうと元も子もない。

「残念な人脱出」→失敗→「残念なままで生きていく」→失敗→「残念な人脱出」→失敗→「残念なままで生きていく」→失敗→・・・

という繰り返しをやってきたわけですな。



しかし、残念であるということは、悪いことばかりではない。
僕の発想は、いつも「普通の人」にとっては、斜め上方向に飛んでいるものらしい。
それはきっと、頭の中が整理できていないためなのだろう。

普通の人は、教えられたことを教えられた通りに覚え、役に立たないものを捨ててしまう。
だから、決められたときに決められたことを思いだす。
僕は、教えられたことを早とちりして大まかに覚え、役に立たないものを残しておき、決められていない間違った場所で思い出す。
それが的を得ていれば「面白いアイデア」になるわけなのだろう。

間違った場所に持ってきたアイデアなので、行き詰まることも多い。普通の人は順当なアイデアを進めているので、まあそれなりにきれいに話をまとめて、きれいにことを終わらせられるのだが。
だが、そういうアイデアは順当な話なので、いろんな人が皆思いつくので競争激化。いわゆるレッドオーシャンという話になる。
僕の発想は、いつもアナロジーで組み合わせたわけ分からない連結をしているので、他人と競争しないですむことが多い。

いわゆる、荒れ地に住む開拓者と、土地所有権を主張する農民の対立というやつだ。
開拓者は、人間同士の争いが嫌いなので、「きちんとした人」がその分野に入ってきたのなら、安い価格で土地を明け渡して、また別の土地を耕しはじめる。

ビジネスとしては、開拓者は損だ。農民は自分の「所有」を社会の中に生み出して生きていく。一方で、開拓者は、自然とか技術とか神とか、そういった目の前の何かと格闘しながら、社会の外で生きていく。社会の中に置かれた権利は「利子」がつく。開拓者は自分の手で生きているので「人からの利子」がつかない。

そのかわり、開拓者の人生は、きっと農民の人生よりも多様性と好奇心に満ちていて、少しだけ楽しい。僕は、もともとせわしない競争社会の嫌いな開拓者人間なのだと思う。だから、今のままでいいのではないかとも、すこしだけ思うのだ。



考えてみると、僕が書き始めたブログの始めのコンセプトは
「自分の『残念さ』をエンターテインメントとして昇華して生きていく」
というものだった。

なんだか、マンガを書き散らかしたり、偉そうな批評を書いたりなんだり、エンターテインメントぶった話をやったあげくに、立ち位置が分からなくなっていた気がする。

やはり僕はアマチュアなのだ。アマチュアとは技術を愛する者。とりあえず金にしようとか考えず、あまり多くの人に伝えようとも思わず、僕の目が面白いと思ったことを、僕の口で言葉にする。
それがまあ、僕の人生を、エンターテインメント化するということなのだろう。

なるべく、気楽にやっていこう。
移行して、多分まだ、ほとんど他人に見えていない空間。
そこにぼちぼち、誰にともなく言葉を並べる。
まあ、糞忙しいこの時期に、優先順位を考えずに「無駄なこと」をしているように見えるかもしれません。が、他人から「無駄なこと」と見えるものこそ僕の人生の本質にして、僕の力の根源。ま、いろいろと大目に見てやってください。
 
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